悪夢再来
この七月二十四日(土)から二十五日(日)にかけて、銀座・ヤマハホールで開催された、第五回精神保健フォーラムに参加して来ました。フォーラムの基本テーマが、「脱施設化とノーマライゼーションの実現」というものだったからです。
「脱施設化」ということをどう捉えているのか、「ノーマライゼーション」が語源通り捉えられているのかに強い関心があるからです。
精神保健領域の病院のうち精神病院において施設としての実態化が興って来てから久しいわけですが、国際的な批判を浴びながらもわが日本は、「精神福祉」先進国に比べて、世界一の精神障害者長期入院の課題を抱えた国として存続しつづけています。
そればかりではありません。私たちの言う「精神福祉」の領域ですら、病院立あるいは病院関係立の福祉施設が多く展開されて来ているのです。
口汚く罵れば、精神病院へ入院した人の盥回しの場として「精神福祉」施設が造られている と言っても過言ではないのです。
フォーラムを主催した精神保健従事者団体懇談会は、精神保健福祉に関連する学会、協会、協議会二十団体の集合体です。一九八六年来、わが国の精神障害者対策の問題性や視座の脆弱さ、課題対処の貧困さ等々について、問題提起をし続けて来ています。
今回のフォーラムでの最大関心事は、シンポジウムTの「医療観察法の施行に対して、精神障害者の人権をどう守るか」で、どのような発題があり、討論があるかでした。この法律の提案時の名称は、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」でした。
法律の詳細な内容についての批判はここでは触れませんが、一言で言って、「大東亜戦争」時の治安維持法です。
憲法「改正」が政治日程に乗ろうとしている今、「戦争の出来る国」における精神障害者対策の課題として、各種「法」の整備が進んでいることを、私たちは強く認識することが必要と考えています。(吉田昭久)
「風(FOO)」だより
「風(FOO)」の活動が始まり、三年の間に五十九名のユーザー登録があり、現在は五十二名のユーザーが登録しています。六月十二日、水戸プラザホテルにて行った、社会福祉法人光風会設立三周年記念会「風をおこす」「風をたのしむ」に、二十二名のユーザーが参加しました。
「風をおこす」では、ポスターセッション・パフォーマンスを行い、クラブを中心にユーザーの活動を紹介しました。
ポスターセッションを行うにあたり、各自が何を目的として活動をしているのかを再度確認し、今後の活動をどのように展開していくのかを話し合いました。パフォーマンスでは、朗読や音楽を通しての自己表現という方法で、カミングアウトの場とすることが出来ました。どちらの発表に関しても、自分たちの活動の評価をされる場であり、その緊張の中でひとつのことを成し遂げることが出来たという喜びは、ユーザーにとって貴重な経験となったはずです。
「風をたのしむ」では、食事をとりながらの「自然生クラブ」による田楽舞がありました。和太鼓の心地よいリズムと体全体で感じる重圧感、見事なパフォーマンスに圧倒させられました。障害者の「発表会」ではない、「自然生クラブ」の表現はとても素晴らしく、ユーザーだけではなく、私たちスタッフも大きな衝撃を受けました。
当日は、リハーサル通りにいかず、思わぬアクシデントが起こった場面もありましたが、大きな混乱につながること無く、記念会を終了することが出来ました。
次の日の朝、「おはよう。昨日は楽しかったねぇ。三周年記念会終わっちゃったね。楽しいことってすぐ過ぎちゃうんだよね」とユーザーの第一声がありました。その他にも、「パフォーマンスをやり終えた時、充実感がすごくあった」「緊張しちゃったけど、楽しかったね」というユーザーの声がありました。
今後もユーザー自身が自分の表現方法でカミングアウトできる場を提供し、それぞれが持つ課題に対して、力となるように支援していきたいと考えます。
(出澤 華奈子)
文化こらむ
今年は新潟、福島、福井と大雨による災害が相次ぎ、水の大きな力を改めて知ることになりましたが、今回は「水」について取り上げます。
「水」と聞いてすぐに思い浮かぶのは飲み水や雨、またこの季節だと海やプールなどでしょうか。私たちは、生活をとおして「水」となんらかの形で24時間接しています。睡眠時でも呼吸という形で空気の中の水分と接しています。
人間は、そのあって当たり前な「水」をとおして、どのように文化を形成してきたのでしょうか。人は水のあるところに村を作り生活してきました。その中で、「水」は天からの授かりものとして、畏敬の念や感謝の心を持つ対象でした。ですから、世界各地で、「水」を信仰したり祭事などに用いたりしています。キリスト教の洗礼、拝礼前に水で身を清めるイスラム教、仏教では花祭りの際の灌頂などです。また、禊(みそぎ)は「水そそぎ」の略といわれ、水を供給する「おかみ」の神も祭られています。
それは、「水」がなくてはならないものではあるけれど、人の思い通りには管理できないものだからでしょう。その「水」の恩栄と災いの一部を、資料をもとに表にしました。
このように、「水」はどのような使われ方をしても恩栄をもたらす一方で、災いももたらします。
産業の発展で水が汚染されてきた歴史がありますが、人はそれをまた科学技術によって対当しようとしています。しかし、人は自然を管理でません。たとえば、生活排水により汚染された水を浄水場で消毒するのですが、生活廃水の有機物と浄水場の塩素により「トリハロメタン」が発生することなど典型的な例といえます。また、在留農薬による難分解性汚染物質(POPs)が1995年のワシントン会議で重視されています。人が自然を管理できないのは当然のことですが、日常生活の中ではつい忘れてしまいます。合成洗剤を使い、使用済みの油を生活排水として流してしまう等、私たちは「便利」な生活を優先してきています。
このような生活を見直そうと、今、「水」との共生社会がいろいろな分野で模索されています。共生という言葉の中には、もしかしたら「水」の恩栄の中に災いが、そして災いの中にも恩栄が宿っているものとして捉えている側面があるのかもしれません。
日本の「水」と関連した文化といえば、酒造りや稲作また、水琴窟、鹿威し、枯山水、茶の湯などが挙げられます。それらは日本に水が豊富であったがゆえに起こりえたものだそうです。
そこで次回は、茶の湯(茶道)を取り上げます。 (川島 麻子)
7月の「風(FOO)」
「風(FOO)」のクラブ活動は、ユーザー三名以上の発起人が集まって開始されます。しかし、ただ三名集まればよいのではありません。スタッフに申請書を出して、責任を持って活動することが必要です。そこを支援するのがスタッフです。
もちろん、全ユーザーがクラブ活動に参加しているわけではありません。参加すべきだとも考えていません。
キーワードは、自由性と自主性です。
「関係性の病」とも言われる統合失調症。 統合失調症の症状でよく言われるのが「無為・自閉」です。陰性症状とも言われます。本当でしょうか?嘘だというつもりではありません。ただ、医師の意見書に「無為・自閉」と書かれているユーザーが、クラブ活動に自主的に参加している姿をどのように認識すればいいのでしょうか。「風(FOO)」は、医療機関ではありませんので、基本的に症状それ自体はどうでもいいことですが。
今回の「花信風」には、ユーザーに毎月お知らせしている予定表を紹介します。クラブ活動情報は、ユーザーが手書きで記入します。
「風(FOO)」に来る他施設の通信もそうですが、パソコンで作成したものが氾濫しています。年賀状しかり。表現方法としての文字が軽視されています。
意思を伝達する方法として様々なものがあります。当然のことですが、会話をするとき、私たちは、音声としての言葉だけでコミュニケーションしているわけではありません。しぐさ、表情等様々な情報をもとに判断しています。文字も同様です。そこには、その人の表情があります。「整った顔」でも表情に乏しい人がいるように、文字の上手下手ではありません
私が学生時代、脳性麻痺の方の発音が不明瞭で聞き取りにくい言葉を代弁することの差別性を問われました。同様に、ユーザーの文字を了解なくスタッフがパソコンで文字化する差別性を意識化する必要があります。
(斎藤 悟)
「陽(yoo)」だより
毎日、暑い日が続き「陽」のメンバーもスタッフ、そしてスタッフを自認する犬のパッキーも少々ダレギミです。先週は海開きの前日に日立の「会瀬青少年の家」で恒例の「夏の合宿」を行なってきました。
毎年、合宿を山でするか海にするかメンバーと話し合いますが、やはり海を希望します。それは整った施設で潮風に当たって過ごす気持ちの良さと海産物を食すことに魅力を感じるためだと思います。確かに、回りを山に囲まれた笠間に居ると、時々、海の開放感と圧倒的な大きさに身を置きたい気分が私自身あります。海水浴場は狭いプライベートビーチといった感じで、海に入っている他の人も無く、メンバーも少し足を海水につけて一年ぶりの海を満喫?したようです。知らぬ間に一人二人と宿舎に戻り、恒例のスイカ割りを楽しめなかった事は残念でした。夜は久しぶりに海産物でバーベキューをし、皆で子供に戻って花火を楽しみました。暗闇の中で表情はよく見えませんが、確かに皆が素直に楽しんでいる雰囲気です。子供も大人も楽しめる、そんな遊びがもっとあってもいいと感じます。
今、授産活動で9月の作品展に向けて少しずつ作品づくりをしています。「何か」を作って出品するという目的意識がメンバーに出てきました。このような体験は初めてであり、具体的にどういう事か解からなくてもとにかく何かを作ることはエネルギーがいる行為です。スタッフは相談に乗ったり、一緒に考えたりと制作を誘導しますが、メンバーにとってはナカナカ思うように行かなかったり、ひとつ作ると安心して先へ進めることが出来なかったりしています。
作る過程でも、スタッフが手伝ったりアイデアを提供することなど、どこまでが支援してよい範囲かそれぞれの過程で迷いが出ます。少なくとも、課題に対し本人の責任で選択し決定することをしてもらうのは当然ですが、それでも、もっと良くなると思うと知らず知らず誘導している事があります。メンバーに『どうです?』と聞かれると感想を話します。しかし、それがメンバーに大きく影響してしまいます。出来るだけ本人が選択できるように色々話をしたり、実際に見える形で提示したりと、当然スタッフも迷います。でも、それが良いのだと思いつつ時間をかけています。そんな試行錯誤を繰り返しながら、何とか9月の作品展に全員が出品できることを目指して、冷や汗?を流しながら作陶しています。
(鷺野谷 まち子)
現代笠間焼って何?
今は、笠間に限らず、単品で焼物を見ても多くの場合何処の物か分かりません。現代は流通の発達と原材料の商業化でほとんどの物が入手でき、○○焼を飛び越えた作陶が可能になっています。特に笠間は粘土を始めとした原料にこれと言った特徴が無く、また一般食器の歴史が浅いため、各作家が自由に作陶しています。他の産地で学んできた人も多く、陶炎祭などでも笠間焼の特徴を聞かれますが、全体的な特徴については言えないくらい雑多です。
最終的に○○さんの焼物と考えてもらうしかありません。地域(国、地方)の特色が薄れてよく分からな
くなっている事のなんと多いことか。
(菅原 淳一)
子ども研だより
「花信風」春号をお届けしてから3ヶ月が過ぎました。この間にも、子どもが事件の被害者になるばかりか、加害者になるという悲しい事態が頻発しました。茨城県においては女子高生が殺害されたり、祖母が孫に手をかけるという痛ましい事件が起きています。
このような報道を聞くにつけ、個々の事件は決して特異な事とは思えません。家庭の子育て力が低下していると言われる中、コンビニに居場所を求めたり、パソコンの画面に会話の相手を求める子どもが増えています。自分の気持ちを周囲の大人や友だちに直接伝える手段を知らない子どもがいらだちや不安を募らせた時、結果を押し測りきれずにキレるという行動をとってしまうのでしょう。
このような精神状態を抱えているのは子どもばかりではありません。自制心のない自己中心的な大人も多くなってきています。
人は、あらゆる生命との関わりを通して他の生物を思いやる気持ちを育みます。人を思いやる気持ちが欠如してくると、人をモノとしてしか見なくなるのです。
この現状からも、昨今の事件は、私たちの身近でも起こり得ることだと思われるのです。だからこそ、今「子ども研」に課せられた使命は重要であると認識しています。
さて、「子ども研」の事業経過をご報告します。
【子育て研修会の実施】
昨年度実施した「子育て連続講座」を、今年度は県内数箇所で実施する予定です。現在、玉造町、鹿嶋市、潮来市で実施の準備を進めています。実施の概要は次の通りです。
玉造町
玉造町保健相談センターの事業委託を受け、実施。
期間:八月三〇日・九月十三日・九月二十七日の三回
場所:玉造町保健相談センター
対象:町内で就学前の子どもを育てる母親 約二十名
鹿嶋市
「子どもの生命を守る会」と共催で実施。
期間:八月〜九月の土曜日三回(調整中)
場所:鹿嶋市 平井公民館
対象:市内の幼稚園に子どもを通園させている母親 約十名
潮来市「子どもの生命を守る会」と共催で実施。
期間:九月〜十一月の土曜日
三回(調整中)
場所:調整中
対象:市内の保育所に子どもを通所させている母親 約十名
講座の内容は、昨年度実施した「〜子育て連続講座〜“あなたらしい子育てへの旅”」に基づき、さらにテキストとして花信風前号9ページに掲載した「子育て支援マニュアル」を使用していきます。
昨年実施したグループワークを導入したこの講座については、その有効性を検証し、その結果を十月一〜三日に神戸で開催される病院・地域精神医学会において発表します。
【講師派遣】
茨城県精神保健協会より「心の健康づくり地域啓発推進事業」への講師派遣の依頼を受けました。概略は次の通りです。
日時:八月五日(木)
午前十時〜十一時三〇分
場所:大子町保健センター
講師:高橋寿子主幹研究員
演題:現代の子育てにおける
家庭の役割
対象:母子保健関係者、母子保健推進員、一般約五〇名
【学校教育相談・生徒指導支援の受付】
今年度事業を開始すべく、相談室の整備がほぼ完了しました。具体的な業務内容や開始時期について準備を進めています。
(高橋 寿子)
稼ぐ金額ではなく、何に使うかが実は人の価値を決めるのかもしれない
すでにご存知の方も多いとは思いますが、2001年に「世界がもし100人の村だったら」(マガジンハウス)という本が出版されました。私はこの本を通して、日本を始めとする経済大国の「豊かさ」が、如何に世界中の人の生活を犠牲にして成り立っているかを、感覚的に理解することが出来ました。
今回紹介する記事は、あなたも私も世界の中で「富豪だ」と言うのです。
自分の年収をパソコンでGlobal Rich Listのサイト上に入力すると、世界で何番目かが表示されます。ちなみに昨年の私の所得は、世界で三億五五三三万八八三位、それ以下の人が五六億四四六六万九一一七人、この結果はトップ6%に入ると表示されたのですからヘーッと驚きです。私自身お金はありませんが、私を含む多くの日本人の生活は、世界では上位6%に入るということを数字で叩きつけられたのです。
そして、稼いだお金を何に使うかをこの記事は問うています。そこでは、金持ちというものは寄付が義務だといいます。日本人の感覚として、寄付は遠いものです。光風会の賛助会員を募ることをとおして、実感しています。
すぐに寄付という意識にならないにしても、Global Rich Listをとおして自己点検することが、「稼いだお金を高級車や家、ブランド商品等を買ったりすることが幸せか」を考え直す機会になります。
そのことに気づいた人は、「人としての豊かさの創造」に先行投資をしてみようと、身近な社会的取り組みに目が向き始めるのではないでしょうか。
(高島 真澄)
編集後記
本部事務所の周りでは、夏休みになって、子どもの声がするようになりました。一方、チェーン店の居酒屋に行くと、夜遅いというのに、これまた元気な?子どもの声がします。また、大人に付き合わされて疲れきった子どもの表情も見うけられます。
精神障害者に必要なことは、規則正しい生活とよく言われます。昼夜逆転していても、それが続けば規則正しい生活ですよねと問われたときどう答えますか?
規則正しい生活の基準とその根拠が必要なのかもしれません。子どもがなぜ夜遅く起きていてはだめなのか。「ガチャガチャやってないでもう寝ろ!」といった関わりは、もうとおらないのでしょうか。 (斎藤悟)
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