社会福祉法人 光風会
花信風 子どもの問題研究所
風 精神福祉相談支援センター
陽 本部
花信風

 
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第3号

-目次-
◆巻頭言【学会往来】
◆「風(FOO)」だより
◆文化こらむ
◆「陽(yoo)」のつぶやき
◆手作りに思う
◆子ども研だより
◆少年事件は増えている?凶悪化している?
◆編集後記

巻頭言【学会往来】(吉田昭久)

大学に研究室を貸与されて研究活動を開始したのは一九九六年ですから、かれこれ三十五年の昔になります。この間、研究成果を公にすることは、大学人としての義務と心得ていましたから、ほぼ毎年学会発表を行ってきました。現在もそうですが、所属する学会は十指を超えています。手元に届くそれぞれの学会誌に目を通すたびに、最近は一種の寂寥感に魘われます。掲載されている論文の多くが、どれだけ「世」にとって「人」にとって役立つものなのかと考えさせられるからです。
 研究が至上課題でなくなった現在も、若い人たちと協働で研究活動を継続しています。
 いささか我田引水になりますが、私たちの研究は「世」にとっても「人」にとっても有用な研究と自負しています。
 それは、自分たちの研究は何を意図するものなのかを絶えず点検し、国際学会まで含めて必ず学会発表して、社会的評価を受ける機会を持ってきているからです。今年は、九月中旬に日本臨床心理学会第四十回大会(以下「日臨心」)で、十月初旬には日本病院・地域精神医学会神戸大会(以下「病地学会」)において研究成果を発表しました。
 「日臨心」では県福祉相談センターの郡司活夫氏が「児童虐待の心理的背景と予防対策課題を踏まえた子育て支援」と題して、「病地学会」では当会子どもの問題研究所の高橋寿子氏が「子育て支援講座へのグループワーク導入の有効性」について報告しました。詳細は省きますが、いずれも研究助成財団から助成を受けてのもので、来年度にも継続する課題です。
 研究の着想は常に、研究の為の研究ではない、実践の中で解明し生産すべき課題の追求を意図していますが、それは研究「する側」の問題で、研究対象の「される側」にとってはどうなのかが問われるところです。
 二十一世紀の精神障害者の生きる状況を予想的に展望するとき、「精神福祉」の課題の位置づけには、新しい視座からの多くの研究が必要だと、当会のユーザーやメンバーとのかかわりを通して痛感しています。

第4回社会福祉法人光風会地域交流啓発事業
“風”をはこぶフォーラム−幻聴の科学から「聞こえる声」の体験の共有へ−

 (社福)光風会は、2002年から2年間に亘り、地域交流啓発事業として講演会を開催し幻聴の問題を取り上げてきました。
2002年は、筑波大学臨床医学系精神医学教授朝田隆氏より、「頭の中のこえ−幻聴を科学する−」の題でご講演をいただきました。脳機能画像を用いた研究成果により、幻聴を「今、聞こえている」事実として示していただきました。2003年には、ヒアリング・ヴォイシズ研究会代表の佐藤和喜雄氏より、「ヒアリング・ヴォイシズ−聞こえる声と共に成長する道」と題して、「声」と上手に付き合っていくことを可能とする方法について学びました。

朝田氏の講演は、幻聴がある時、聴覚機能が脳の内なる「声」に対して明確に反応している事実を映像として示し、私たちに大きな衝撃を与えました。また、幻聴は「幻の音」ではなく、実際に聞こえているという証明を示されたことによって、幻聴体験のない者が、聞こえている者に対して理解を深める際の糧とすることが出来ました。
佐藤氏の講演からは、聞こえている「声」が主導権を持って一方的に聞こえている者を振り回すだけではなく、対処によっては、聞こえている者の意思や事情を通して、上手に幻聴と付き合うことができることを知りました。また、聞こえている人自身が「声」と共に成長することも学びました。聴講する以前、幻聴は厄介なものであり、幻聴について対処者から深く聞くことは良くないと教えられていた私たちにとって、ヒアリング・ヴォイスの幻聴の捉え方は寝耳に水のことでした。

 生活支援センター「風(FOO)」や笠間焼工房「陽(yoo)」のユーザーやメンバーから幻聴について、「自分の行動に対して、注意してくれる幻聴がなくなってしまって寂しい」「自分にとって都合の良い幻聴もある」と言う言葉を聞き、二度の講演から「声」と上手く付き合い、ヒアリング・ヴォイシズの捉え方を生かし始めたユーザー、メンバーのいることを感じています。支援者としても幻聴への捉え方が変わり、幻聴のあるユーザーやメンバーへ関わる姿勢がはっきりとしてきました。
精神医療では、「自分を非難する声」「言うとおりにしないといじめてくる声」等の苦しい幻聴は、無くすべきものとして治療の対象とされています。しかも、「聞こえる」事実は社会的に理解を得られず、幻聴への体験的な対処も考えられてきませんでした。そのため「聞こえる」事実は否定され、現在も精神障害への差別・偏見へとつながっています。まだまだ現代社会の中では、「聞こえる」ことを隠すよう薦めたり、無くすことで生きづらさを軽減させようと考える精神医療関係者は多いのが現状です。しかし、聞こえることの苦しい思いを隠し続けなければならない状況に生きること自体が、精神障害者の生きづらさを生んでいると考えます。

 今回のフォーラムでは、別紙のように「幻聴とは何か」の課題について、脳生理学と幻聴体験への対処方法という二つの視座から皆さんと課題の点検をし、精神障害者に対する地域支援の具体的課題に資する知見を得たいと考えます。
さらには、精神医療や精神保健福祉に関わる私たち自身が、自分の「心のバリア」に気づくとともに、茨城の精神福祉を展開する私たちにとってエンパワメントする機会となれば望外のことです。
ぜひ、ご参集いただきたく、ご案内させていただきます。


文責:精神障害者地域生活支援センター「風(FOO)」
支援員 精神保健福祉士、社会福祉士  出澤 華奈子 (職歴3年7ヶ月)
支援員 精神保健福祉士        川島 麻子  (職歴1年7ヶ月) 


「風(FOO)」だより

茨城県精神障害地域ケアー研究会が仮事業所を立ち上げ、4月より試行的に始まったピアホームヘルプ事業が、9月末日をもって終了しました。その期間、「風(FOO)」のスタッフはジョブコーチとして関わり、ピアホームヘルパー6名と利用者4名のユーザーが協力者として、共に事業に取り組んできました。
ホームヘルプの内容は、料理・掃除・買い物・外出が多く、同じ援助内容でも、利用者によって、具体的な関わりとしての求める内容が多様でした。その多様な課題に応えようと、ピアホームヘルパーは、当日一緒に作る料理を事前に何度も練習するなど、具体的に自分の技術を高めていました。ピアホームヘルパーとして関わる時、どのように利用者をヘルプしたら良いのか、自分ができる事は何かを、各々が考えて取り組んでいました。
ホームヘルプは、利用者の力を削ぐことなく、利用者が自分の力をできる限り使って、生活に生かすことを支援します。ヘルプする側が、「やってあげる」ことは簡単ですが、「やってあげる」という感覚では、利用者の力が自分の力を生かすことはできません。また、利用者側も「やってもらう」ことで、とても楽に問題を解決することはできますが、自分の生活に生かすことはできないでしょう。そして、利用者の持っている生きる力を発揮できずに、能力を潰してしまうのではないでしょうか。この「やってあげる・もらう」の関係は、ホームヘルプだけではなく、「風(FOO)」のスタッフとユーザーとの関係にも、同じことが言えると考えています。
スタッフとしてユーザーに関わり始めて4年目になりました。まだまだユーザーが自分の力を生かす支援を行うことは、容易なことではないと感じています。今回のピアホームヘルプの活動を通して、それぞれの力を生かす支援は必要なことだと考えていますが、それだけではなく、改めて、ユーザーと共に楽しさ、感動、悔しさ、驚きなどの体験を通して、スタッフとしてステップアップしていきたいと考えています。
「風(FOO)」設立時から、ユーザーとスタッフを支えていた「風(FOO)」の主、チャコ(猫、十九歳)が、九月十八日の夜に、ユーザーが見守る中で、息をひきとりました。ユーザーの献身的な介抱に目を見張りました。このような「死」の体験も、ユーザーに対する支援につながることだと感じています。(出澤 華奈子)

「紫煙」を「支援」?
最近はタバコの健康への有害性が社会に浸透しつつあり、大都会は勿論のこと、学校、病院、レストランなどでも禁煙のところが増えてきました。その波は精神保健福祉分野にも確実に及んできており、精神科病院やクリニックの外来でも喫煙空間は外に出され、精神障害者の社会復帰施設も例外ではなくなりつつあります。県内のある精神科を持つ病院では来年の1月1日から、病棟・外来を問わず、全面禁煙を宣言すると聞きます。
 「百害あって一利無し」といわれるタバコを何の制限もなしに許可することは、世界的な健康や保健に対する考え方の潮流からいっても問題が多いことなのでしょう。
 一方、風(Foo)の活動室で見ていると全利用者の1/3の方が喫煙者です。そのため、風(Foo)ユーザーの唯一の喫煙空間であるサンデッキはいつも人が絶えません。夏は強い日差しを浴びながら、冬は寒さの中、暖をとりながら、紫煙をくゆらせて様々な熱い会話が繰り広げられています。活動室の中でははばかれるような性にまつわる話題もこの喫煙空間ではよく話題に上ります。喫煙者ならば、新規の利用者もこのサンデッキでの一服を通じて馴染んでいきやすいようです。そんな 風(Foo)の喫煙者達にとってサンデッキは文字通り憩いの場であり、もっとも気軽に互いに交流が図れる場となっています。かく言う私もヘビースモーカーなので、サンデッキでの会話に混じる機会も多く、喫煙そのものに害はあるのかもしれませんが、むしろユーザーとの自由な雰囲気の中での会話を楽しんでいます。
 今後ますます喫煙が制限され、喫煙者は閉め出されて行き場を失うことになるのでしょうが、せめて 風(Foo)は、喫煙者が安心して紫煙をくゆらせられる場を保持していきたいと思います。(鈴木 宗夫)



文化こらむ
 今回は、「風(FOO)」のクラブ活動「お茶クラブ」の講師の、吉田紘子先生に「お茶(茶の湯)」についてお話をうかがいました。

料理をする時、お客さんに出す時と自分で食べる時とでは、丁寧さの度合いが違うことがありませんか。例えば、お客さんに出す時は、自分だけが食べる時と違って、味見を念入りにするというように。それは、お客さんにおいしく食べてもらいたいという、もてなしの心があるからなのでしょう。
「お茶」の世界も同じなのだそうです。客を、思いやりの心を持ってもてなし、客によろこばれ、自分もたのしむものだからです。それは、人と人とのコミュニケーションなのです。コミュニケーションとして考えると、「お茶」が特別の世界のものではなく、普段の生活の中でもやっていることだと分かります。けれども、「お茶」の世界ほど、もてなしの心を全てに渡って尽くしていて、客としても、その心を存分に受け取ろうとする場は、ほかにないと思いました。一服のお茶を出すために、道具の清めから始まる動作からは、亭主の思いを感じることができます。また、掛け軸、生け花、茶道具、茶菓子などは、季節が考えられているなど、茶席を設けるために亭主が思いやりをもって、客には見えないところでも準備をしていることが分かります。そして客も、亭主の思いにうれしくなり、「この器はどこのものか」などと会話が始まります。
一方で、「お茶」の作法は、近いほうの手で道具を扱うなど、その動作はとても合理的なのだそうです。「お茶」の世界が「合理的」ということが意外でした。一度使った道具を次の人が使いやすいように元の場所に同じように戻すことからも、思いやりの心を表すと、見た目の美しさと共に、理にかなったものになるのだと分かりました。
最後に、「一期一会」とは、人と人との出会い、時間との出会い、物との出会いをいつも生涯でただ一度の出会いであると考えて大切にすることだそうです。そのような「お茶」の席では、言葉では言い表せない思いが、お茶のふるまいを通して表れるのです。「お茶」においての思いやりの心が、その人の動作に見えるということ、それは普段の生活の場面でも同じです。だからこそ気をつけたいと思いますが、これもまた、口で言うのは簡単ですが、動作で表すのはとても難しいことだと思いました。(川島 麻子)


「陽(yoo)」のつぶやき

今年は6月から夏日が続いて、渇ききった猛暑は夏日日数を新記録にしました。台風も六月に一回目の上陸をして以来、この二十三号で十回目の上陸でこれも新記録だそうです。台風の被災報道に接する度、想像を超えた状況に備えることの難しさを実感します。
この変則的な気候のため、毎年心待ちしているジンジャーの花は咲かず、唐糸草も咲き終わった一輪を確認しただけでした。対称的に元気だったのは藪冥加や吉祥草で驚異的な根のはり方で庭を摂関し、その土俗的逞しさは感動的ですらありました。そんなこんなで今庭は野分のあとの八重葎と化しています。けれども夏場をやっとの思いで乗り切ってきた心身にとって、この庭の風情は結構癒し系です。ヴィオロンの音とも表される物悲しさ、かったるさ、陽が短くなって自然界のあらゆる物が休息にはいるべく、トーンダウンした秋だからこそ夏の疲れが癒されるのでしょう。

 あるメンバーさんがこんなことを言っていました。
「親が思うようにこっちがチャッチャカ動けばいいんだろうけど、今みたいに調子の低い時はゆっくりしてたいんだよね。どうしてもやらなきゃならないときは仲間とドンチャン騒ぎして調子を上げてその余力でなんとかやっちゃうけど、あとが辛いんだよね。そのまま調子が下がらないこともあるしね。」
ということは、自分のことも病気のことも家族のこともしっかり理解できていることになります。健常者のように振舞うことが病気を克服することだと思って、無理をしている自覚もないまま調子をくずして傷ついていく人が多いなか、わたしには人生の達人のようにみえました。

 今しばし、この八重葎を眺めていよう。春咲きの球根が届いても、草の実が来春の勢力拡大を企てていても、今しばし、このままで眺めていよう。今年の夏はほんとうに大変だったから。(鷺野谷 まち子)


手作りに思う

手作りの物に対する色々な評価がある。
私自身、工業製品を含め、物を見るときには色々なものを感じている。手作りの物に対してどう感じるか夫々だが、陶器の作り手として感じることは、手作りゆえに作った人の考え方や作った時の間まで見えることもある。何も考えず、機械の様に無味に出来ている物から懸命さが見える物。感銘を受ける物からあまりに醜い物まで、人が作っているから作っている物にその人が現れると思っている。
何に限らず作る事も、選ぶことも、また評価することもコワイコトである。しかし選択しないで生きては行けない。身の回りに在る、あらゆる物から影響を受ける事も事実であり、知らず知らずに思いとズレが出てしまう。
心しながらこれからも・・・(菅原 淳一)


子ども研だより

「今泣いたカラスがアハハと笑った」
幼い頃、駄々をこねて泣いていたと思ったら、次の瞬間にはもう機嫌が直って笑っている私を、父がこう言って囃したものでした。玉造町と潮来市で実施した「子育て連続講座」を通して、自分の子ども時代が思い出されました。

「子育て連続講座」の中で、講師の成井先生は、「子どもは今この瞬間を生きている。だから『あの時こう言ったでしょ!』は通じない。今この瞬間、子どもにどうかかわるかが大切」と話されました。すぐに忘れてしまうのだから一度言っても分からない。だから繰り返し教えていくことが必要なのです。
虐待により幼い子どもの命が犠牲となる事件が後を絶ちません。虐待は「おもちゃを片付けない」「ご飯をこぼした」「言うことをきかない」というような理由で行われたと報道されます。もちろん虐待の発生には様々な心理的背景が要因になっていると考えられますが。私が乳幼児検診の心理相談で、母親の相談に対応している際にも「言っても分からないんです」「身辺の処理等がまだ出来ないんです」という声がよく聞かれます。
何でも早く出来ることを良しとする風潮の中、言って聞かせても思うようにならず、イライラしている母親の姿が浮かび上がります。
再び成井先生、「一人で出来るようになったくらいでも、手をかけてやっていい。手をかけてもらうことで、正しいやり方と『あなたを愛しているよ』という気持ちが子どもに伝わるのです」と。
反抗期の3歳児に手を焼いていた参加者は「へエー」とうなづきます。そして「言ってもきかないのは、私がしつけられないからだと思っていた」「もっと甘えさせていいんだと分かった」等の感想を記していました。
今年度から講座のテキストとして使用している「子育て支援マニュアル」のテーマは、「育てることは伝えること」。
このテーマをもっと大勢の母親に伝えていかなければ、と実感しました(高橋 寿子)


少年事件は増えている?凶悪化している?

明治時代の読売新聞の社説を紹介します。インターネットに掲載されていました。
「少年の教導感化に警察力を借るが如きは、家庭及び学校の最大なる恥辱にして、少年の上に立てる中年者、老年者の不面目之れに過ぎたるはあらず。然(しか)も今日の中年者以上には少年者の模範を以つて任ずるに足るべきもの甚だ多からず、少年を導くの力なく、彼等をして相率ひて堕落せしめ……(中略)不良少年の根底的感化は、先づ不良中年、不良老年の反省より始めざるべからざるものなるべし」
不謹慎ですが、思わず笑ってしまいました。明治時代と現在。変わったこと、変わらないことの検証が必要です。(斎藤 悟)

【 学 会 発 表 報 告 】

≪日本臨床心理学会≫
9月16日、日本臨床心理学会第40回大会において、「茨精研(ICCAM)」の郡司活夫氏が、「児童虐待の心理的背景と予防対策諸課題を踏まえた啓発活動事業」の発表を行いました。
これは、昨年度子どもの問題研究所と共同で実施した母親の意識調査に基づいて継続してきた研究です。子どもの被害状況や虐待行為そのものに目が行きがちで、あまり注意が払われない“虐待行為者の心の在り様”に注目したこの研究を、児童虐待問題への対応の具体的方略を提示するものとして、引き続き企画・検討しています。

≪日本病院・地域精神医学会≫
10月1・2日に神戸大会が開催され、2日目の分科会、テーマ「広がり」において高橋が発表しました。
発表内容は、グループワークを導入した子育て連続講座のプログラム内容を提示し、その有効性に関するものでした。
「子育て」に関する発表は当研究所だけであり、「広がり」という統一性のないテーマの分科会であったためか、参加者の関心は薄かったようです。しかし、これからの精神福祉の課題を考えるとき、今の子どもの問題への対応は必須の課題です。
「連続講座におけるグループワーク導入の有効性」については、今後も分析・検討を続けていきます。(高橋 寿子)


 

編集後記

新潟の地震がプロ野球日本シリーズの話題を吹き飛ばしました。話題を吹き飛ばされただけならまだしも、優勝した西武には、内部を震源とする地震がおきています。優勝どころではないでしょう。
と、人ごとのように言っていられません。
前回の花信風に掲載した決算でもお分かりのように、当光風会も突発的な地震に強い体制にはまだありません。また、精神障害者を取り巻く社会状況を見たとき、「隔離・収容」への揺り戻しがあってもおかしくない時代です。
様々な意味で地震対策をしなければなりません。(斎藤 悟)


 

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