特集「パターナリズム」
小慈妨大慈 (吉田 昭久)
2004(平成16)年度アニュアルレポート(Annual Report)を2005年度12月末に発刊し、お手元にお届けしましたが、その「おわりに」において、(社福)光風会の5年間の活動を振り返って点検すべき課題を3点挙げました。その第一が、今回の特集課題であるパターナリズム(Paternalism)の問題です。
禅林の語に、「小慈妨大慈(ショウジダイジをサマタぐ)」がありますが、パターナリズムの問題はまさしくこの禅語の示すものといってよく、姑息な愛は却って人間を駄目にするの意です。禅林修行の道場を僧堂と言いますが、僧堂生活における指導理念の一つがこの禅語の示すもので、修行僧にとっては僧堂生活の基本的実行課題です。何でもそうですが、実際に僧堂内生活を実体験しないと想像しにくいものです。少なくとも臨済禅の修行僧は現在も、厳しくしかも酷しい生活を送っています。老師と言われるような禅僧は生涯に渡って。
僧堂は修行の専門道場とされる寺院内の一建物で、前門と後門と呼称される二ヶ所の入口のある独立した建造物です。一般参拝者の目に触れない所にあるのが通例で、修行僧は後門から出入りし、前門は本堂や食堂(じきどう)等に出頭する時に使用します。勝手な出入りは決して許されません。自発的に入る監獄を想像すればよいでしょう。監獄と似て非なる所は、一般に、前門の梁上に「選佛場(堂)」の額が掲げられていることです。堂内では多い所で20〜25人が生活します。生活の居住単位は「単」と呼称される畳縦一畳。日常生活用品は持鉢(ジハツ)と言われる食事用品一式と単蒲団という坐禅用蒲団、寝る時に使用する柏(カシワ)蒲団という通常の敷蒲団を横二倍にしたような蒲団一枚のみ。枕なしでくるまって寝ます。あとは単に相対して配置されている小さな物入れに入る程度の私物です。
三度の食事は粗食で、おかずは梅干とたくあん程度。薬石と言われる夕飯にがんもどきの煮物などが付くことはあります。僧堂生活全体で大きな音を立てることが禁止されていますが、食事中は特に厳しく、たくあんを食べる際に音を立てないで食べるコツを会得するのも修行の内です。
ところで「風(FOO)」では「アニュアルレポート・2004年」のP.9〜P.10に報告したように、ユーザー・スタッフの共有する時・空間として、食事会、昼食会、夕食会と、食事を共にすることを支援の一つの重要な柱としています。「同じ釜の飯を食う」ということを人間関係性形成の基盤とする考え方は、洋の東西を問いません。「家族(Family)」の営みも、かつては囲炉裏を囲み、食卓を囲むことから始まりました。光風会では、「お互いさまの助け合い」の実感をユーザーが持てるような働きかけを「精神福祉」の実践的根幹と考えています。「協働(Cooperation)」の理念です。
しかし、理念の実体化は極めて難しい課題であることが、5年間の実践を通して分りました。「口出し」、「おせっかいを焼く」といったことが、スタッフー・ユーザー間人間関係において無意識に出てしまうのです。「お世話する人・される人」の関係性です。ユーザー・スタッフ双方の関係性の受け止めが、権威主義的になることが出て来るのです。パターナリズムの問題です。光風会の支援理念は、メンバー・ユーザー各自が、自らの課題として、自立・自律性を獲得する方略を見出すこととしています。その前提は、個々のメンバー・ユーザーと各スタッフとの間の人間的な信頼関係です。
西洋的近代的自我論でいう「愛」の考え方は、実践的な課題として良く分りませんが、東洋思想、特に仏教の説く「慈悲」は、「いつくしんで楽を与え、あわれんで苦を除く」実践的課題を前提とし、各自の「思い」や「考え」を、その時々のその人なりの行動に直接表すことです。「慈」はシンボリックには、母―子関係における「母親」の行為そのものです。対して「厳」が父親イメージです。
わたくしたちのユーザー・メンバーに対する支援は、まさしく「慈」の具体的展開であるべきと考えていますが、「有口無行」の諺の通り、日常的実践課題とするには絶えず「わたくし」自身が問われることになります。
パターナリズムの脱却と克服の課題です。
特集「パターナリズム」
【まだ未熟な子供のために親が進路を決める】【知識を持っていない素人のために専門家が決める】【しもじもの国民のためにお役人が決める】【遅れた発展途上国のために先進国が決める】といったパターナリズムは、「自己決定」を阻害するものとして否定的に見られがちですが、そう単純ではありません。
「自殺したい」と言っている人に、「自己決定ですからどうぞ」という関わりでよいのかという“価値”の問題。「やってあげたい−やってもらいたい」という“関係性”の問題など、様々な課題が含まれています。(編集部)
ここまで「やってもらいたい」と思うの?
日経トレンディ二〇〇六年二月号で、「二〇一〇年のスタンダードが見えた!ニッポンの『正夢』」という特集を組んでいます。
二十一世紀がスタートしてこれまでの五年間、携帯電話やブロードバンドの普及などによって、日々の暮らしや社会が大きく変化しました。
私も、二〇〇一年に携帯電話を持ち、短期間で生活が大きく変わりました。はじめは、いつどこに居ても自分に直接連絡が入るという事態に、他人が土足で自分の生活に入り込むような感覚を持ちました。しかし、五年を経過した今、携帯電話の電源が切れないように注意する生活を日常としています。
記事では、二〇一〇年に向かう次の五年は、様々な技術やサービスが世の中に登場し、思いもよらない変化をもたらすと予告しています。
以前、「花信風」で取り上げた搭乗歩行型ロボット「i‐foot」をはじめ、愛知博で披露された種々のロボットが、これからの五年間で家庭に入ってくるというのですから驚きです。
その先陣として掃除や子守り、リハビリ補助で人を助ける「一芸ロボット」が登場。すでに今年、米国製の掃除ロボットが販売される見込みです。さらに「廊下を掃除せよ」「玄関先を内臓カメラで監視せよ」など、様々な手伝いをパソコンからロボットに命令できるようになるようです。また、NEC「PAPERO」は、オナラをする真似をして子どもを喜ばせるなど、子どもや高齢者にとっての遊び相手、話し相手になれる家庭用ロボット。先々、常にネタが尽きない遊び相手、話し相手になる子守りロボットとして販売されるようです。
ここまで来ると、テレビや電気冷蔵庫、電気洗濯機の便利さの質を越えています。箒から掃除機に変わっても、人が動かなければ掃除機は動きません。しかし、新技術では、面倒くさいから「掃除をやれ」という一声で動くロボットに掃除をさせるのです。ロボットの問題ではなく、人間がやらなくなったことの問題です。
これらのロボットは、「やってもらえれば楽だ」という人間の欲求が形となったものです。犬や猫などの動物ですらある程度成長すれば、排泄物を後ろ足で蹴って身の回りをきれいにするのですから、身の回りのことは自分でするという基本的な人としてのあり様を、人は放棄し始めたといえます。
「誰かにやってもらいたい」という意識の肥大化は、「半人前の人間のために、ロボットに世話をしてもらう」といったパターナリズムを当然とする社会をつくり出します。そのような社会では、子どもが成長し、きちんとした大人になることが不必要になります。
遊びについても同様です。ディズニーランドやレジャーランドを、多くの人が楽しいと受け入れてきました。遊び方を知らない人を遊ばせる遊戯場です。次は、ロボットが遊んでくれます。
最近、千葉県浦安市は、ディズニーランドで成人式を開催しています。それに喜んで参加する新成人たち。成人式をとおして、ディズニーランドを楽しめる子どものままであっていいとメッセージを送るのですから、浦安市は時代の先陣を行っているのかもしれません。
子どもの頃テレビを通して見た手塚治虫の「鉄腕アトム」の世界が、現実となるのはそう遠くないような感じです。確かマンガの中では、ロボットたちが人間のロボットの扱い方に抗議し、ロボット権を主張する場面がありました。
ロボットと共存する時代には、「人間はもっと大人になって欲しい」とロボットから言われるのかもしれません。(高島 真澄)
「ボランティア」は誰のため?
カンボジアの精神保健に取り組んでいるNGOへ研修に行ってきました。研修プログラムの一つとして、カンボジア人と日本人の夫婦が運営している孤児院を訪問しました。孤児院内を歩いて説明を受けている最中に、日本人の職員の方がポロっとこぼしました。「ボランティアとして何かしたいと言って日本人がよく来ますが、断っています」と。
「風(FOO)」は、ボランティアは受け入れていません。何か通じるところがあるのかと思い、なぜ断っているかを訊きました。「孤児院の職員は組織として動いている。単に何かやりたいというだけでは、組織の一員として動いてもらえないので困る。何かしたいというのは自己満足だ」というような答えが返ってきました。
「何かしたい」には、「何かしてあげたい」という気持ちが隠されていると感じます。何かされる対象者の要望ではなく、何かする人の要望を満たすことにしかならない危険性があります。しかも「何かしてあげたい」と言う時は、対象者を始めから一方的に「困っている人・助けが必要な人」と見立てています。孤児院だから、親がいない子どもたちだからという理由で何でもいいから助けが必要だとしているのです。「何かしたい」という動機の源が「善意」であり、勝手に決めつけていると気づかないからこそ、その問題性に気付くことが難しく、厄介です。
私自身も「ボランティア精神」が強い人間です。精神障害者は助けを必要としていると勝手に決めつけたからこそ、精神障害者福祉の仕事を志望したのです。けれども「風」で働き始め、「日本人のボランティア精神」に含まれる「自分は良いことをやってあげている」という感覚の問題点に気づき始めました。
十年程前、新潟沖で石油タンカーが座礁した時に重油を拾いに行きました。しかし当時を振り返ってみると、「地球環境を考えて」というよりは、「良いことをやっている自分に酔っている」という感覚が強かったと今思えます。
初めてボランティアをしたのは、中学の頃の「清掃ボランティア」という授業でした。近くの公園を清掃したのですが、正に授業と同じで、「やらされている」という感覚を持ちました。と同時に「ボランティア」として、何かいいことをやっている「自己満足」をも植え付けたのだと思います。
無償で自発的なボランティア行為が必ずしも「いい行為」とは限りません。やっている行為の目的に関係なく、「ボランティア=良いことをやっている」と教えられたとすれば、カンボジアに日本人が「何かしてあげたい」と押しかけることが理解できます。
日本人のボランティア精神の裏には、「善意の押し売り・自己満足」そして「パターナリズム」の問題が隠されていると考えています。(川島 麻子)
パターナリズムって何?
「パターナリズム」という概念を調べてみると、膨大な研究と論議が様々な分野でなされていることがわかります。どうやら明確な概念定義は定まっていないようです。そのようなわけで、多くの研究者が国内外にいることと、研究者だけでなく、現場の医師やソーシャルワーカーが自説を展開し論議されている状況から、調べた範囲のごく一部を紹介します。
■ 一般的な定義
「父親の子どもに対する保護と統制関係のうちに認められる支配パターンを指す。(中略)保護のための一方的統制という専制的側面が優位した恩情主義と、支配‐統制感情が曖昧となった、情緒的・人格的温情関係とがある。」(社会学辞典)
つまり、父親が子どもに対していろいろと注意をしたりするように、相手のためを思って「ああしろ」「こうしろ」、「そんなことはするな」といった注意、指導などの「おせっかい」をするような人間関係のことを意味しています。
「父権主義」、「父権的干渉主義」、「父親的温情主義」などと訳され、「本人の意志に関わりなく、本人の利益のために本人に代わって意思決定をすること」や「父親の子どもに対する保護と干渉と統制関係のうちに認められる支配パターン」と説明されています。(注1.)
一方、医療の現場において見られるパターナリズム(medical paternalism)は、患者の最善の利益の決定の権利と責任は医師側にあり、医師は自己の専門的判断を行なうべきで、患者はすべて医師に委ねればよいという考え方を指します。(注2.)
通俗的には「余計なお世話」「大きなお節介」等と表現されるように、今日の自由社会においては一般的に否定的に捉えられ、その日本語訳が表している通り、「父」と「子」との関係性で単一的に理解される傾向があります。
しかし、法の世界においては、法的強制の正当化原理としても論じられています。(注3.)
パターナリズムは、一つは干渉・介入の「説明原理」としての意味と、他には「干渉・介入」あるいは法的意味で用いれば「法律・立法」という、二つの意味内容が混在しており(注4.)、特に前者を「パターナリズム」、後者を「パターナリスティックな介入(行為)」というように区別して使用するのが一般的です。(注5.)
■ 代表的な研究者と見解
パターナリズム(paternalism)という言葉は一八八一年に登場しました。しかし、それより以前から「父権的権威(paternal authority)」という語は存在しており、十六世紀に誕生したこの「父権的」という語が、十九世紀の終わりに「パターナリズム」という語になりました。(注6.)
多くの研究者がJ.S.ミル(John Stuart Mill)の『自由論』におけるパターナリズム批判に理論的根拠をおいて研究をスタートさせているようです。代表的な研究者と見解を紹介します。
G.ドゥオーキン(米国・法哲学)(Gerald Dworkin)
パターナリズムを「もっぱら、その強制を受ける人の福祉(welfare)、善(good)、幸福(happiness)、必要(needs)、利益(interests)また価値(values)に関連する理由によって正当化される、個人の行為の自由への干渉」と定義。(注7.)
H.L.A.ハート(英国・法理学)(Herbert Lionel Adolphus Hart)
パターナリズムを、あくまで侵害から個人を保護する原理として見ており、ドゥオーキンのように個人の善や幸福の増大のためということは除外している。(注8.)
ビュウチャンプ&マックロウ(米国・医療倫理学)(Beauchamp,T.L.&McCullough)
(一)ある個人の自律を他者が故意に制限することであり、(二)自律を制限する者は専ら自律を制限される者へ恩恵を授けるという姿勢をもっていなければならない。(注9.)
花岡明正(法社会学)
パターナリズムを簡潔に「被介入者自身の利益のためになるという理由による介入行為」とした。(注10.)
■ まとめにかえて
ほとんどの研究者は哲学的に厳密な論理を展開しています。
しかし、福祉の現場で問題になるのは、「介入や干渉」をする立場の者が、どこまで相手の自己決定権を侵害することなしに支援をすることが可能なのかの問題です。どんなときに「介入や干渉」が必要であり、その正当性の根拠は何かということを、自己反省的に日常的に点検していくことです。
たとえば、施設に入所している重度障害者が「仮に命を縮めることになっても地域で生きることを選択したい」といったことに対してどう関わるかです。
福祉や医療の現場では、そういった「命」に関わるジレンマに向き合わざるを得ません。
単純な「やさしさ」としての「おせっかい」ではなく、かといって相手のためと言いつつ自己決定することを押し付けるのでもなく、しかも「余計なお世話」になり過ぎる関わりと線引きするための理念を模索していくしかありません。
最後に、一人の喫煙者として、最近のタバコのパッケージに印刷されるようになった「喫煙による健康リスク表示」は、国によるパターナリズムの典型であり、誠によけいなお世話だと見る度に思っています。(鈴木 宗夫)
主従関係―日本人の錯覚―
昨年十二月九日〜十四日の六日間、カンボジアへ行ってきました。日本のような経済的先進国とは違い、一人当たりの所得が低く、産業構造が第一次産品に大きく依存している発展途上国と呼ばれている国です。また、世界遺産で有名なアンコールワット遺跡があり、その観光による収入と海外からの支援が主な国の収入源です。カンボジアの歴史と現状を交えつつ、「経済的先進国」日本と「発展途上国」カンボジアとの関係について書きたいと思います。
カンボジアは、内戦やポルポト政権下の時代(一九七五-七九)があり、激動の歴史を歩んできました。その時代には、徹底した破壊が行われ、反逆をする可能性のある有識者や権力者たちが虐殺されました。その時、精神科医は一名だけが生き残ることが出来たということです。
当時、一般市民の人々の生活もひどいもので、性別・年齢別に生活をさせられ、家族と生活をすることさえも許されず、教育も受けられませんでした。
その教育を受けることが出来なかった子どもが、現在、親の世代になっています。読み書き教育はもちろん、性教育なども受けていません。そして、知識が乏しいという理由だけではなく、働き手としての子どもが必要なのです。
しかし、読み書きすることが難しい親たちは、医療や衛生管理に対しての知識がなく、生活していくための収入を得ることで精一杯の状態にあります。そして、飢餓で亡くなるというよりも、衛生的に問題のある状況で育児をしている家庭が多いために、病気になり死んでいく子どもたちがたくさんいます。
また、子どもを産んで育てるにしても、子どもをどの様に叱ったら良いのか、躾とは何かを知らずに親たちは育ってきました。その結果、感情的に怒鳴りつけ、説明もなくいきなり殴りつけるなどの関わりしか出来ない親がいるのです。それは、個人の責任だけではなく、歴史的背景・社会情勢などが原因であることは間違いありません。
このような現状ですが、子どもたちに対する学校教育は行なわれています。
学校は午前・午後の二部制の義務教育になっているため、子どもたちはどちらかを選択して通っています。例えば、午前中に学校へ行く子どもたちは、午後から家の仕事を手伝い、自分の出来る範囲の役割を見つけて働きます。中には、観光客に特産物やみやげ物を売ったり、食堂で昼食を摂っている人の靴磨きをして収入を得たりしている子どももいます。その逆で、午後に学校へ行く子どもは、午前中に仕事をしています。このように、学校以外では家族の生活のために、当たり前に働いている子どもがほとんどです。
カンボジアは前述したように、自国の独自の産業がないため、観光以外での海外通貨が入ってくることはほとんどありません。そのため、自国で道の舗装・教育・医療・衛生・産業技術などの資金を補い、それらに関わる人材を育成することが難しい状態にあります。
日本が主に力を入れて支援していることの一つに、道路整備が挙げられます。日本は、山中の田舎道までもが車で走り易い様に整えられているのが当たり前です。しかし、カンボジアではメインストリートだけが舗装されているだけで、一本、道を曲がると深さ五〜三〇センチ、大きさ二十センチ〜一メートル五十センチの穴が無数にある凸凹道になります。恥ずかしい話ですが、車の荷台に乗っていたため、あまりにも強烈な衝撃でお尻の皮が剥けてしまいました。それほどの衝撃のある道が延々と続くのです。その様な道を舗装するために、資金援助をしているのが日本です。道の舗装は、工事を行なうための雇用、舗装技術の伝授に繋がります。
教育・医療・衛生・産業技術に対しては、多くの日本のNGO団体が関わっています。NGOとして活動している孤児院で、カンボジア人と結婚して働いている日本人の方と話をする機会がありました。その方は、「日本人がカンボジアで活動することによって支えられている部分はたくさんある。しかし、日本人がやってあげようと活動していることで、カンボジア人は外国が支援してくれることが当たり前と思っているところがある。その反面、アンコールワットを作った民族という意識が強い」と話していました。
彼女の話を聞く前まで、日本語が全く通じない国で活動している日本人の姿を見て誇らしい気持ちでいました。
援助することは必要です。しかし、「やってあげる」だけの行為は、自分の自己満足になってしまう可能性が大きいこと。そして、「やってもらう」側の自分たちで処理しようとする力を奪うことになると気づかされました。
確かに、日本は経済的には先進国です。しかし、当然のことながら、「先進国」と「発展途上国」との関係は、「主従関係」ではありません。日本人には自分たちの方が進んでおり、「主」であるという錯覚があると感じます。
私たちの福祉活動において、「主」でも「従」でもない関係を作ることは難しいことなのかも知れません。主従関係にならないように、自分の意識を点検することがまずは大切なことだと考えています。(出澤 華奈子)
権威による安心感
皆さんは、病院や薬局で薬の説明をされた時、十分理解して納得して帰りますか?
製薬会社が作成している処方薬の説明書には、ものすごい数の副作用や危険性が記載されています。市販薬の説明書にも沢山の文字が書かれていますが、その比ではありません。
私たちは、どこまで理解する必要があるのでしょうか。物質の名前や作用する仕組みの説明をされても何がなんだかわかりません。
薬にまつわる「風(FOO)」のユーザーとの関わりにおけるエピソードを一つ。
Aさん曰く…、
【Xという薬を朝・昼・晩と三回飲んでいるけど、どうも調子が悪い。
一回1錠(一日3錠)だと、体は楽なんだけど、不安感が強く、自分が変に思われているんじゃないかと他人の視線が気になり、怖くて外に出られない。
2錠(一日6錠)だと、不安感は薄くなるが、だるくなる。そわそわする。まわりの景色が変に見える。
3錠(一日9錠)だと、安心していられるけど、副作用で足がモゾモゾしたり、眼球上転したりする。
先生に話したら、Xの量は、一回1〜3錠の範囲内で、自分で調整して飲んでいいと言われたのでいろんな組み合わせを試してみるつもり。とりあえず、朝2錠・昼1錠・夜3錠にしてみるけどどうだろうか】とのこと。
「いろんな組み合わせって言うけど何通りあると思う?選択肢は、朝・昼・晩とそれぞれ1錠〜3錠。組み合わせは、『3×3×3』の27通りだよ」と伝えました。
続けて「それ全部試してみるの?薬の量だけが病状に影響するわけじゃないよ。だから、一つの組み合わせを何日か続けて飲んでみることになり、全部試すには何ヶ月もかかることになるよ」と伝えると、「とりあえずやってみる」との答えでした。
その後Aさんから、薬の量や効果に関する相談が頻繁になりました。
そこで、「先生とは長い付き合いで病状をよく知っているのだから、お任せして『○錠飲みなさい』と指示してもらってください」という指示をしました。薬に気をとられ、日常生活に支障をきたすよりはと。
「安心」するためには、「医師の指示」というより「医師の権威」というパターナリスティックなものが必要だと判断したのです。
ここには二つのパターナリズムがあります。一つは、「医師の権威による安心」。もう一つは、「施設長・精神保健福祉士が判断し、指示したこと」です。
パターナリズムは、する側だけの課題ではありません。される側にパターナリズムが浸透しています。それを利用し、一時的な「安心」を「与えた」わけです。
Aさんはそのことに関しては落ち着きました。しかし、Aさんの持つ認識力や判断力といった「力」を関わる側が一方的に評価した関わりといえます。
権威による安心感。
薬の効能を理解することより、自らのパターナリズムに気付くことと、信頼できる医者と出会うことが大切なのです。(斎藤 悟)
してあげたくなる心
過日、ある社会福祉法人が、この春に立ち上がるという話を聞きました。企業の収益をその施設に投入し、無料の送迎・無料の娯楽施設への招待、そして朝9時から夕方5時までの仕事を提供するという、「してあげる」性格の強い内容でした。内容を聞いているうちに、だんだん怒りがこみ上げてきました。そこは、精神障害者の施設ではありませんが、また、光風会の考え方とは違う施設が誕生してしまうと思ったのです。福祉とはそれでいいのだろうか。しかし、余所はよそ。気にしていたら心臓か持ちません。自分自身のことを振り返ってみます。
「風(FOO)」のスタッフになって5年。初めは「何をしてあげたらよいか」と自問自答しながら迷いながらの勤務でした。ユーザーも何かをして欲しいと思って来ていた様子でした。その状況は、数年経っても何も変わらないように思っていました。ユーザー自身の言葉からは、生活が一向に好転していかない苛立ちと嘆きを感じていました。
できることは、ただひたすらに話を聴き、共に過すことでした。それしかできなかったのです。オールスタッフミーティングで自らの関りを点検しつつ、ユーザーに関わっていく中で、だんだん「何もしてはいけない」と思うようになってきました。「する」のはユーザー本人でなければなりません。何も変わらないのはユーザー自身が自ら変わっていく環境を創れていないからだと。
こんなことがありました。あるユーザーが「野中さん。もう一度大学に入って、精神科のお医者さんになって戻ってきてよ」と言いました。「どうして?」と聞き返すと、「医者は、話をよく聴いてくれないんだもの。話をしても話がすっと通っていかないんだよね」との答え。
また、別のユーザーは語る…「朝早くから3〜4時間待って、2〜3分の診察。すごく疲れるよ」「いろいろ悩みを話すと薬を増やされるから、変わりないですと言うんだ」
現代の医療が従来のパターナリズムから「患者さま」主体の医療になりつつあるとはいえ、精神医療に関していえば、まだそれには程遠いものを感じざるを得ません。その他にも、親の関わり方や社会的な要因など、本人だけではどうにもならないものも多くあります。
「風(FOO)」が開所して5年経った今、ユーザーたちは変わりつつあります。自分自身について、以前より良くなった、安定していると語る人が多くなったからです。
医者でもなく、カウンセラーでもない専門家として、ユーザーに寄り添い、話を聴き、自分のありのままで共に過す。そして、ユーザーの心が癒され、元気になって、内なる力が蓄えられて、やがて、自身の自己実現に向かって歩き出すのを見届けるだけです。言葉では「無理しないで、ゆっくりね」と言いながら、心の中で「早く自分の生き方を自分で見つけて欲しい」と呟いています。
「してあげたくなる心」に気づくことの大切さと難しさを感じる今日この頃です。(野中 美保)
「陽(yoo)」近況
近年、暖冬傾向が年々進んでいくことに慣れてしまいそうな状況での、今冬の記録的な寒さに、豪雪地方の命に関わるニュースに接するにつけ、一筋縄ではいかない自然の力を再認識させられています。「災害は忘れた頃にやってくる」という格言が何時の時代も新鮮なのは、人間が慣れやすい生物であり、だからこそ長い歴史を生きてこれたのかもしれないなんて想いに駆られます。
さて、昨年暮れ「障害者自立支援法」が成立し、平成十八年四月の施行に向け、国の施策情報が少しづつ五月雨式に入ってきています。平行して、施設従事者向けの研修・勉強会等も活発に行われています。
最近の研修で、この法律が三障害(身体・知的・精神)共通であることを受けて、三障害の当事者代表がそれぞれの障害を具体的に説明するというシンポジウム形式の企画がありました。シンポジスト六名の内、四名が身体障害の方で、脳性まひ、視覚、聴覚、オストミー(人工肛門・膀胱)の代表の方でした。その四名の方々は、それぞれに障害特性と共に、共通して人的・法的差別と、情報取得の困難さへの配慮のなさをあげていました。日常的に気付かなかったことが多く、新しい視点をいただきました。
一方、知的障害と精神障害の代表からは、「とっても恵まれて幸せです」といったパターナリズムの典型のようなメッセージしか届かず、具体的障害は想像するしかありませんでした。
翌日、工房で昼食のテーブルを囲む数人のユーザーとその話をしました。自分の障害を言葉で他者に伝えることについて、「それは難しい。自分も出来ないと思う」と、全員が異口同音に言いました。でも、そこからほとばしるようにそれぞれの症状や過去の体験が語られました。そして最後に、「でもこれからは家族にも理解してもらえませんよ」と。「だから、社会に理解されるわけない」と暗に言っているようでした。
その日によって変わる「精神障害」と対峙しているユーザーの作陶作業との兼ね合いは、原則自己管理としています。つまり、作業参加の意志があってはじめて作陶の関わりとなります。
作業は、二〇〇三年の開所以来、それまでのオカリナの型作りから手捻りの植木鉢に挑戦しています。目をつぶっても出来るくらい慣れ親しんだ型作り・集団作業から微妙な個人作業に変わりました。
授産施設の性質上、商品として仕上げなければなりません。この三年、販売ルートに乗れないのを覚悟で、ゆったりと習練の時を重ねてきました。そろそろ商品になりそうかなといった感じです。
そういえば、今冬、笠間では沢庵と干し柿が久しぶりに美味しくできました。寒さに感謝。(鷺野谷 まち子)
教える・教わる
教える 教わる・・難しい
モノの見方は人それぞれ
教える時、これが正しいという『答え』は
人に不自由を与える以外の何物でもない
教わる者の可能性の芽を
摘んでしまいかねない
そもそも芸術、美術的なものに
『正解』なんてない
すべてを丁寧に説明し、教えるという事は
自分で考えるきっかけを奪ってしまう
逆に教えないという相手に対する
思いやりも必要なこと
その加減
技術面でも
感覚的な所を言葉にして伝えるのは難しい
自転車に乗れない人に言葉で説明して
簡単に乗れるような説明はそう出来ない
結局はその人が
自分で何度もトライしながら乗れるようになる
自分もよく
「技は教わるんじゃなく、盗んで覚えるもの」
と言われる
(小林 東太)
陶芸コラム
粉 引 き
窯元として独立した時から、粉引きという焼き物を作っています。
この技法は、きれいでない土、つまり鉄分や雑多な鉱物粒子の混じった粘土に、化粧土と言って成分の違う白い粘土を掛けて、表面を覆い白く見せるものです。
もともと、殆どの技法のルーツは中国ですが、この技法で焼かれた朝鮮半島の物を茶人が好み、表面に白い粉を塗っているように見えるところからこの呼び名がついています。 それは、見た目に磁器と違った白く柔らかで下地の粘土の土っぽさとの対比が美しい焼き物です。
しかし、粉引きは使う物として難しい問題のある焼き物です。粘土を乾燥させ焼成する時に一回り縮むのですが、粘土の種類が違うので縮む度合いが違い、付かずに剥がれる可能性が大きいのです。これを解消しても、2つの粘土が同じに縮む温度と時間を見つける必要のある焼き物です。しかも、焼き上がってからも欠けやすく、白いだけに汚れが目立ちます。単に「白」と言っても、質感も含め魅力のある白さは簡単ではありません。自分では、日常使う器としての課題はクリアできていると思っていますが、まだ納得のいくレベルではありません。
本歌どりを目指している訳ではありませんが、自分の中の作陶イメージとしてある
「黒い土」と「白い雪」との関係が出せればと思っています。(菅原淳一)
子ども研だより
「子育て講演会」への講師派遣依頼に対応
この講演会は、十月〜十一月に鹿嶋市の全小学校において開催されたもので、鹿嶋市教育委員会が文部科学省から家庭教育支援総合推進事業の委託を受け、平成十八年度に小学校に入学する子どもの保護者を対象に実施しました。子どもたちが就学時健康診断を受けている間、保護者が待機している時間を利用するという設定でした。
鹿嶋市の小学校は全部で十二校あるので、「鹿島子どもの命を守る会」の成井氏とで分担して対応しました。
依頼されたテーマは、「『もう小学校 まだまだ小学校』〜子どもの気持ちになった子育てとは〜」です。話の内容については講師間で事前に打合せを行いました。
伝えたポイントは三つ。
一つは、もうすぐ一年生なのだからと、なんでも一人で出来ることを急がせず、手をかけてその子なりのやり方を教えることをとおして、母親としての「こころ」を伝える。
二つは、教えることをとおして子どもに安心を伝え、子どもが自分の気持ちを話す言葉に耳を傾ける。
最後に、食事・排泄・睡眠を中心に、きちんと体を育てることによって、子どもの心を育て、子どもを尊重したリズムを作ってやることが親の努め
であることでした。
子どもの入学を控えた親からは、入学までに字が書ける、計算が出来ないとついていけないのでは と心配する声が良く聞かれます。早くから勉強の準備をすることは、一方で子どもから、自分が学ぶ喜びや自分で出来たという感動を奪うことになりかねないということを指摘しました。
講演後、何人かの校長から、授業参観や講演会の場で、「人の話を聞く姿勢」のない親が最近は増えているという話を伺いました。今回の講演会では、保護者の方々は概ね熱心に聞いていましたが、後ろの方で携帯電話を操作している方はありました。
今回のように、就学時健康診断の時に実施するという設定であれば、次年度就学児のほぼ全保護者を対象に話すことが出来ます。このような機会を「子ども研」として多く設定し、たとえ一部の保護者に対してでも、前述の三つの視点の重要性を伝えることが必要だと考えています。(高橋 寿子)
現代の子育てとパターナリズム
かつて厚生省(現厚生労働省)は父親の育児参加を奨励したとき、“育児をしない男を、父とは呼ばない”というキャチコピーを出しました。
就学時健康診断の場に携わる体験では、母親は父親を「子育てにマメに協力する父親」と「仕事中心で子育てに非協力的であてにできない父親」の二通りに分け、夫が前者だと「お蔭様で」と言い、後者だと「うちのは駄目なんです」と言うのです。
就学時健診で母親から聞いた言葉。
「戦闘物(ウルトラマン等)は嫌いなので見せません。乱暴な子になると困るから」
「いつもお菓子を持ち歩いています。泣くと疲れるから」
「寒いのでトイレトレーニングをやめています。風邪を引くとかわいそうだから」
子どものために良かれと思ってしていることが、子ども自身が判断したり、我慢したり、体験する機会を奪っています。これはパターナリズムです。面接時に、母親の話をよく聞いてみると、このような「言葉」は“子どものため”というよりは、母親自身が子どもに煩わされたくないという気持ちの表れと受け取れます。
父親が子どもを厳しく躾けようとすると、「私のやり方と違う。子どもの心が傷つく」と母親に言われ、その言葉に言い返せない父親が増えてきていると感じています。父親のパターナリズムがなくなってきて、母親の自己中心的な我が子意識が強くなってきています。こういったパターナリズムは現代の子育てに蔓延しています。
しかしながら、子どもの命の安全のためにはいくら泣いてもシートベルトを着用させるといったパターナリズムは必要なことです。大人が子どもにきちんと教え、伝えなければならないことはあるのです。躾といった子育てにおけるパターナリズムは必要不可欠であるという前提が忘れられています。(高橋 寿子)
会員よりの投稿
花信風特集「障害」を読んで想ったこと
10月25日から11月4日迄、北海道から九州迄日本を縦断する旅をしました。山梨、長野、群馬三県の寄合所帯のツアーでした。
北海道に集った時、一人ポツンと立っている青年が居て、一寸気になったので観ていると、左足が悪い…。身体障害者福祉センターで六年間も心理判定なる仕事をして来た私には、彼が脳性麻痺による障害者だとすぐ解りました。
北海道内はバスツアーです。席はバスの乗降口に列番と名前が張り出されます。定年退職者が過半数のそのツアーでは、皆旅なれたもので、さっさと自分の席に座るのですが、彼に声をかける人が居ません。私は、彼が一人で参加したものと思い「自分の席は解った?」と聞くと頷き、指で「7」を表現しましたので安心して自分の席に付きました。
彼は言語障害で発語不可だったため、困ったのは添乗員さんでした。私が添乗員さんに代わって、誰か知人がいるのか筆談で聞いたところ、離れた後ろの席の男女を指して両親だというのです。私も添乗員も驚きました。申し込みも姓も別々だったので両親とは知らなかったと、添乗員は泣き出しそうでした。
私は『お互い同席は息苦しいだろうから、私の席の近くに席をとってあげてね』と言って、十日間の旅は出発したのです。紅葉狩りの旅ですし、夫婦連れが九割でしたから身障者の彼には誰も全く口も聞かず世話もしません。まるで別世界の人間のように無視した十日間でした。
私は、添乗員とガイドに、「障害者であること」「言語は話せないがこちらの言うことは理解できること」「時間も時計も解ること」等を簡単に説明し、困った時は私の処へ来てくださいと話し、旅を続けたのです。
その間、父親という男性からは一寸足が悪いだけという言葉を聞いた以外、母親は子供と話をしませんでした。青年は母親そっくりの顔をしていましたから、誰が観ても親子でしたのに。
東北地方へ入ったある夜、添乗員さんが私をたずねて来て、「何故、手を引いたり話しかけたりしないのだろうか?これからまだ一週間も旅をするのに心配になって来た」とのこと。私は「バスでは両親と並列に席をとること。食卓は必ず三人一緒にすること。寝室もベッドではなく和室にすること。慣れないでしょうが気味悪がらないこと」等、細かく話しました。添乗員とは二度目の旅でしたから相談しやすかったのかもしれませんが、「我々には何でもないことが世間一般の人には奇異に映るのだな。まだ日本は障害者にとって大変な国なのだな」とつくづく思いました。車椅子の障害者はだいぶ理解されて来ていますが。
一番腹がたったのが両親。特に母親。キャーキャーと派手に話をしているのに、それは夫にだけ。子供に向けられていないのです。これには呆れましたが、こんな親は何人も観て来ました。誰にだって何らかのハンディキャップはある。与えられた命を自己の力で如何にして生き抜けるか。先のことは解らない。然し、毎日を大切に生きてみよう。障害者だって同じ重さの命を持っているのだ。何時、突然障害者になるかもしれないのだ。
旅の中で私はつくづく感じました。利口ぶらないこと。健康ぶらないこと。病人ぶらないこと。そして、障害者を子供に持っても決して恥ずかしがらないことを。
文化の窓
「映画」ALWAYS 三丁目の夕日
現在も小学館ビックコミックオリジナルに連載し続けている西岸良平氏作の「三丁目の夕日」が、映画化されました。日本アカデミー賞優秀賞を授賞した作品です。昭和三十三年、東京タワーが完成する年の東京下町、夕日町三丁目の庶民生活が描かれています。映像の中にたびたび出てくる東京タワーは建設中です。私は完成した東京タワーしか見たことがないので、徐々に積み上げられていく東京タワーの高さに、庶民の生活が変化する時間の流れを感じることができました。NHK放映のプロジェクトXで東京タワー建設が取上げられ、世界一高いタワーの建設は、「風との戦いだった」と建設に関わったとび職の人の言葉を、映画を見ながら思い出しました。
ストーリーを紹介しましょう。
ある日、鈴木則文が営む自動車修理工場・鈴木オートに、集団就職で上京した六子がやってくる。しかし、思い描いていたイメージとのギャップに少しがっかりした六子。建設中の東京タワーを見ながら泣いている六子に、鈴木オートの小学生の息子一平が『いいこと』を教え元気づける。それは、鈴木家に『テレビ』がやってくること!
一方、鈴木オート向いの駄菓子屋の店主・芥川竜之介は、三流少年雑誌に子ども向け冒険小説を執筆しつつ、細々と生活している。彼は、ひょんなことから、一杯飲み屋のおかみ・ヒロミのもとに連れてこられた身寄りのない少年・淳之介の世話をすることになる。
昭和三十年代、テレビが入った家に近所の人が集まり、皆でテレビを見る。氷屋が売りに来た氷入れた木製の冷蔵庫が電気冷蔵庫へと変わり始め、高度経済成長の時代を象徴する。
私は、この映画をとおして集団就職した人たちに雇用主がどのように関わったのかを知りました。単に雇い主と従業員という関係ではありません。雇われた人は、中学卒業したばかりの子どもです。雇い主は、仕事の仕方はもちろん、生活面や精神面に至まで面倒をみながら、家族ぐるみで一人前に育てました。昭和三十年代の日本社会には、大人は誰の子どもであろうと育てることが、気張ることなく庶民感覚として残っていたのです。
二十代の「風(FOO)」のユーザーやスタッフは、町医者が一般の家庭を訪問して診察する往診を想像できないと言っていました。昭和三十年代、どの家庭にも電話や車が普及しはじめる前頃までだったのでしょう。白衣を着たお医者さんが、大きな皮の鞄をもって家に来てくれたのを思い出します。医者も氷屋、風鈴屋も同じようにアウトリーチで仕事をすることで、社会が動いていた時代でした。私が育った所には、屋台を引いたおじさんが夏はかき氷、冬はおでんを売っていました。ロバが荷台を引いて蒸しパンを売りにきました。ロバから車に変わり、いつのまにか来なくなってしまいました。
昭和三十年代の日本社会は、地域の大人が子どもを守り一人前に育てる一方で、高度経済成長期に突入し、現代の「豊かな生活」の基盤を築きあげました。手塚治虫作の漫画「鉄腕アトム」が初めてテレビ放映されたのも昭和三十九年(一九六三年)一月一日のことです。私たち子どもは、このマンガの中に繰り広げられる二十一世紀の世界に憧れました。今から四十年前のことです。
今年、ついに家庭用掃除ロボットが売り出されてしまいます。(高島 真澄)
編集後記
句読点は 文章を読むことが苦手な人にわかりやすくしてあげるためのものとして考案されたとのこと すなわちパターナリズムです そういえば漢文には句読点がありません 日本人が読みやすくするためにレ点や一二点がつけられます
ですから 表彰状などの賞状には句読点を付けません 付けることは 相手を文章が読めない人と見なすこと として失礼にあたるからです
最近 行政が発行する修了書を見ましたが なぜか句読点が打たれていました
文章においては句読点が重要な意味を持つと、編集作業を通して実感しています。 (斎藤 悟)
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