社会福祉法人 光風会
花信風 子どもの問題研究所
風 精神福祉相談支援センター
陽 本部
花信風

 
<< 花信風TOPへ
 
第9号

-目次-
◆特集「利用者満足度をどこから見るか」
◆私の通信簿
◆「サービスを提供する」ということを真摯に受け止めて
◆「風(FOO)」
◆ユーザーの満足度の点検
◆苦情を生かすために
◆「陽(yoo)」
◆陶芸コラム
◆「こども研」
◆子どものコラム
◆倶進会助成事業について
◆精神福祉相談コラム
◆ディファレント・アート
◆編集後記

特集「利用者満足度をどこから見るか」
「利用者満足度」というと、ファミリーレストランや映画館、美術館等のアンケートを思い浮かべます。民間サービス業では当たり前のことですが、最近では、公立学校教師も評価をされる時代になりました。成果を短期間で計ることができない、と考えられていた教育や福祉の分野にも、「利用者満足度」に関係する評価が取り入れられています。
 そこで、「花信風」では、本年度をとおして「評価」にまつわる諸課題を特集していきます。


Contents
・巻頭言「一花開天下春」(吉田) 
私の通信簿(高島)
「サービスを提供する」ということを真摯に受け止めて(神永) 

・「風(FOO)」           
ユーザーの満足を満たさない支援(川島)
ユーザーの満足度の点検(鈴木) 
苦情を生かすために(出澤) 

・「陽(yoo)」
満足度の危険性(鷺野谷) 
陶芸コラム(菅原) 
I LOVE ME で行きましょう(伊藤)

・「子ども研」
フシンシャ(杉山) 
コラム「乳幼児健診はどこへ行く?」(高橋)

・本部・精神福祉相談
法人本部より 
コラム「救急車はどこへ行くの?」(高島) 
文化の窓「ディファレント・アート」(高島) 
・巻頭言「一花開天下春」 (吉田 昭久)

「生活支援センター『風(FOO)』」(以下「風(FOO)」)の庭に咲くいろんな草花のうち、盛りを過ぎたもの、これからのものと結構目を楽しませてくれます。
今盛りなのは多種の水仙で、白や黄色、多様な花弁の形と、一輪の花に春が大地に回り来たった様を見ます。樹々は若芽を吹き出し、牡丹はやがて開く大きな蕾を膨らませています。
社会福祉法人光風会も最初の事業である精神障害者地域生活支援センターを開設してから丸5年が経過いたしました。8月20日(日)には新たな趣向を凝らして、五周年記念会を開催します。むろん、「風(FOO)」のユーザー活動であるクラブ参加による催しの企画も含めて準備に取り掛かっています。

小規模授産施設笠間焼工房「陽(yoo)」(以下、「陽(yoo)」)と子どもの問題研究所(以下「子ども研」)は、3周年を迎えます。 「陽(yoo)」は、開設1周年記念として開催した「ゆらゆら展」の第2回展を、3周年記念として前回と同様県立陶芸美術館のある笠間工芸の丘公園で開催いたします。期間は9月16日(土)から18日(月)敬老の日までの3日間で、出展作品は「陽(yoo)」メンバー・スタッフの創作陶器の他、光風会活動に賛同してくださっている芸術家の作品も展示します。

「風(FOO)」五年間の活動の詳細については、年度終了後に毎年発刊してきた事業報告書・アニュアルレポートで確認していただきたいところです。
5年間のユーザー登録総数は67名で、現登録者は49名です。クラブは、光風会の理念・ミッションに賛同した目的を持って活動すればよい となっていて、現在「風(FOO)」では八つのクラブがユーザーにより自主運営されています。
一方、「陽(yoo)」3年間の活動を見ますと、笠間焼共同作業所時代からのメンバーである人もいて、登録総数は25名、現登録者19名で笠間焼作陶の授産事業課題を展開してきました。
開設3周年を迎える「子ども研」とほぼ3年を経過した精神福祉相談支援センターの各々の活動内容については、2003年・2004年のアニュアルレポートで確認いただきたいと思います。

ところで、今年4月1日から障害者自立支援法(以下、「自立支援法」)が施行されました。法の実行課題に関しては、5年間の猶予期間が置かれますが、2006年10月からは、法に準拠する事業展開を図ることが義務付けられています。
発達障害者支援法が「自立支援法」に先立ち施行・展開中で、早期発見・早期治療が全国の「子育て支援」のうちに入り込み始めました。そればかりか、注意欠陥多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群、自閉症等々の、児童精神医学を基盤とする「診断名」が、「子育て支援」のみならず、幼児教育、学校教育にまで影響を及ぼし始めています。具体的、実際的対処方略の提示ではなく、レッテル貼りが跋扈し始めました。ノーマライゼーション、インクルージョンが社会的理念として一方で進められると同時に、1960年代後半の時代相への逆行現象です。
35年前の主張を改めてしなくてはならない状況が生まれようとしていて、「障害児教育」の歴史が問われることになります。

1971年茨城大学教育学部教育臨床心理学研究室を拠点として、約25年「あおい空の会」活動を展開したときのミッションが「共生共育」ということでした。保育所や幼稚園への入所や入園を拒否された4〜5歳の、診断名「自閉症」児たちの「遊び場」を、ゼミナール・メンバーに手伝ってもらい、専門的視座から展開したのです。かかわりを持った子どもたちは、約120名。現在もかかわりのあるかつての子どもたちは、平均年齢約35歳の立派な大人です。かかわりを約35年間継続できたかつての子どもたちは、それぞれに即した障害者という社会生活を営んでいます。

どの子も分離することなく、普通に教育を受けるのが人権として当然、とする考え方を主張した出版活動にも参画しました。「みんなの中で」(池の川幼稚園)、「ふれあいの中で育つ子どもたち」(茨城新聞社)の2冊となって結実しています。本の中に登場する子どもの内、今もかかわりのある障害者は何人かいます。

「障害者基本法」「障害者自立支援法」の成立によって、「特殊教育」という概念は「特別支援教育」という概念へと変換しました。「特殊」な教育を「障害」の「ある・もつ」子どもたちに施すという教育課題の位置づけが、現状の子どもたちをめぐる諸問題や青年期の諸課題を踏まえて、早期に対応するという位置づけに変わったのです。
「あおい空の会」で出会った「子どもたち」もやがて老年期に入ります。「共生共育」を標榜して展開した「あおい空の会」の活動を振り返るとき、「子どもたち」の未来に、彼らの人生へ、何を寄与したのかと内心忸怩たる思いに駆られます。自らの営為に対する自己「評価」の課題のみならず、他者からの「評価」、第三者からの「評価」の問題です。
ただ、確かに言えることは、かつての「子どもたち」がそれぞれに成人し、それぞれの力量に即して現実に立ち向かっている姿を見ると、「評価」には、どんな視座、どこからの見方、何をどう位置づけるかの、きわめて困難な課題があることです。

一花開天下春。
もともとそれぞれの人は、それぞれなりに、それぞれの花を咲かせるのだ という禅の世界。
かつて、フォーク歌手イルカの歌った『なごり雪』、「また春が来て君はキレイになった。誰よりもずっとキレイになった」。グループ:SMAPの歌う『世界に一つだけの花』。
「評価」には所詮、「比較」と「価値付け」と「序列」とが必ず付き纏うのです。「評価」の視座を何処に据えるか。「評価」のない世界がないことを考えると重要な視座です。
法人光風会の過去5年間の「評価」もまた。
とまれ、2006年度もよろしく

私の通信簿

保育・福祉関係の専門学校で「障害児保育ゼミ」を担当して、2年目が過ぎました。 
毎年、学期終了後に講義内容について評価した結果が送られて来ます。私の「通信簿」です。
これは、学校教育法の改正に伴い、教育・研究の質を維持するために、2004年度から自己点検評価と第三者評価を大学に義務付けたことや、厚生労働省から国家資格が取得できる全ての養成校に対して、自己点検・評価の実施指導があったためです。
今年も4月早速に、「通信簿」が送られてきました。2006年度の受講生は、保育科3年生10名でした。この「通信簿」は、10名の学生が答えた結果をパーセントで示すという統計上とても乱暴な示し方ですが、これをとおして「利用者満足度」について考えてみます。
評価の視点は、「授業に意欲的に取り組んだか?」「もっと勉強してみたい気持ちになったか?」「テキスト、配布資料は有益だったか?」等、10項目で構成されています。
学生は、「そう思う」「ややそう思う」「どちらとも言えない」「あまりそう思わない」「そう思わない」の5段階で答えます。
まず「通信簿」を見て、学内総平均値がどの項目についてもかなり高い評価を示していることに驚きました。
すでに民間の教育現場では、授業評価が当たり前になり、講師にとっては、学生からの評価結果が契約の存続に影響することを意識せざるを得ない状況になっています。
こうした中で、ゼミという性質上、大勢の学生に対して行う一般講義とは単純に比較できませんが、ゼミに対する自分の姿勢は、「専門学校側が捉える『利用者満足度』」の視点では大幅にズレていないことが分りました。
回答人数でみると、「そう思う」と「ややそう思う」を入れて、10人中4人の学生が「もっと勉強してみたい気持ちになった」、7人が「学生の理解度を考慮した解り易い授業だった」、8人が「分かりにくい点について、すぐに質問ができた」という結果から、私にしては上出来だと満足しています。
さて、学生はどうなのでしょう。学生にとって大切な満足感は、この学校に入学してよかったと個々人が感じられることです。この「通信簿」の内容は、講師の「質」、学生の「質」をつくりだす学校側の専門学校としての「質」を反映しているとも言えます。もちろん双方のメリットにつながらなければ、学校全体の「質」を上げることはできません。今後、さらに私自身の講師としての能力や力量が問われるような、精査された「通信簿」ができてくると、覚悟しています。                     2006年度「障害児保育ゼミ」は、受講希望者が少なく、成立しませんでした。
このことは、「通信簿」の結果と関係しているのかどうか、何とも言えません。それでも、最後のゼミで、学生たちが「このゼミが1年間なくなるなんておかしい」と言っていました。嬉しい一言でした。      
(高島 真澄)

「サービスを提供する」ということを真摯に受け止めて

 引越で、インターネットのプロバイダ・サービス会社を変更しました。その時、勘違いでIDを二重登録してしまい、問い合わせのメールを送りました。自分のミスなのですが、会社側の対応は、「お客様に分かりづらいシステムだったのは会社の責任」というものでした。大変気持ちよく問題の二重登録を解消でき、しかも、今回の対応についての評価アンケートが送られてきました。何でも、この会社は、プロバイダ・サービス会社としての顧客満足度でナンバー・ワンなのだそうです。
これまで、福祉は「措置」、いわゆる「与えられるもの」としてなされてきました。しかし、現在、様々な構造改革の中で、先のプロバイダ・サービス会社のように、利用者が納得した上での「契約」による利用という制度へと福祉は移行してきています。そこでは、「利用者は自らにふさわしい、より質の高い福祉サービスを求め、事業者は質の高い、選択されるサービスを提供する」という視点で、改善を図っていくことが必要になっています。
福祉におけるサービスの評価では、「受ける側」と「する側」とが対等な立場に立つことが難しい場合が多くあります。その点から、事業者及び利用者以外の公正・中立な第三者機関が専門的かつ客観的な立場から行う評価の必要性があります。評価を受けることは、組織の内的な改善を図っていく上でも、また、対外的な説明責任を果たし信頼を得る上でも必要です。
問題は、第三者機関として、誰がどのような評価規準でサービスの質を評価するのかということです。行政監査によるのか民間機関によるのか、建築の耐震偽装問題で騒がれていることと同じで、誰のために「サービスを提供する」のかが問われてきます。また、その「問い」を真摯に受け止めていくことが必要です。
(神永 典郎・日立市教育委員会)

「風(FOO)」
ユーザーの満足を満たさない支援

現代の市場社会では、市場に出回るほとんどの商品やサービスの開発において、市場調査という名目でお客さんのニーズ調査が行われています。ニーズ調査は、いかに売れる商品やサービスを開発するかを考える企業にとっては絶対条件です。

福祉や医療の現場でも、「利用者のニーズ」という言葉が当り前のように使われています。「利用者のニーズに沿って援助や支援をします」ということが施設や病院の売り込み文句として使われます。ニーズを満たすことが利用者の満足度の向上につながり、利用者を集めることになるからです。

「風」では、ユーザーに室内では帽子を脱ぐよう関わっています。また、薄着で寒いから暖房を付けたいというユーザーに対しては、すぐに暖房を付けるのではなく重ね着を勧めます。親の車での送迎に頼って来館しているユーザーには、自力で来館することを支援課題とします。ユーザーからは、当然「なぜ?」という問いがあります。
現代社会では、部屋の中で帽子をかぶっている人を見かけることが珍しくありません。しかも、部屋の中で帽子をかぶるのを「おしゃれ」として、本人も周りの人も肯定的に受け入れています。ユーザーの「満足」を考えれば、部屋の中で自分の好きなように帽子をかぶることが、ユーザーの「風」に対する満足度を高めます。同じように、薄着でも温かい室内や、ユーザーにとって安心できる親の送迎で来館することが満足度を高めることにつながります。

しかしながら、日本文化において、部屋の中で帽子をかぶることは、特殊な場合を除いてありえないこと、礼儀を知らないことなのです。

精神障害によって、帽子をかぶらないと不安だということがあります。視線恐怖があるため、帽子のつばで他者の視線を避ける場合などです。
しかし、「障害者だから仕方ない」として帽子をかぶることの問題を教えようとしない姿勢は、障害者に対する配慮ではありません。「視線恐怖」という障害に配慮することと、室内で着帽することとは次元を異にします。
着帽に限らず、「障害者だから仕方ない」とする周囲の見方が、障害者本人にとっても、同じように自分のことを「障害者だから」知らなかったりできなかったりするのは仕方ないと捉えることにつながります。障害者本人の持っている「力」を自らが「気づく」機会を奪うことになるのです。

部屋の中でも帽子をかぶりたい、薄着でも暖かい室内がいい、親に送迎をしてもらいたい等の要望は、その人がもっているものとして認めることは必要です。
しかし、障害者支援を考える時、利用者満足度に対する捉え方は、利用者と支援者とでは異なります。
「風」で働き始め、ユーザーの「満足」を満たすことだけに基準をおいて対応すると、逆にユーザーの「力」を削ぐことになり、支援にならないことに気づきました。ユーザーの「満足」を結果的に満たさない対応であったとしても、スタッフの一方的な指示ではなく、ユーザー自らが「なぜ?」と考えていける支援でなければならないと気づいたのです。
「利用者のニーズに沿って援助や支援をします」という売り込み文句は、利用者の要望を全てかなえるかのような誤解を生むのではないかと疑問を感じます。
(川島 麻子)

ユーザーの満足度の点検

■支援に対する満足とは
 ユーザーの満足度を測ることとは、スタッフが行う「生活支援」に対しての満足度を測るということです。
「風」で提供する支援は、相談、危機介入、情報提供といった専門家としての支援ばかりではありません。安心できる居場所、ユーザー同士の出会いや語らいの場と機会、自主活動として複数の人と一緒にクラブ活動を展開する場、普段の生活では体験し難い文化的な活動や食事体験共有なども重要な支援と位置づけています。
 これらの活動だけでなく、「風」で行われることは全て生活支援であるとの理念から、ゴミ処理や後片付け、生活上の作法にまで点検は及びます。そのため、ユーザーがそれらのどの点に注目して満足や不満足を表明しているのか、を捉えることが支援者としては重要な自己点検となります。

■どう測るか?
相談場面では電話も含めて、ユーザーから「ありがとう」「助かりました」「安心しました」などの直接的な感謝や安心の表明は、満足度を測る一つの目安になります。
 企画や文化的な体験では、やはりユーザーから出される肯定・否定の言語化が一定の目安になります。また、企画や文化的体験では参加の有無や参加頻度などもまた一定の評価を受けているものとして、点検材料にしています。立てた企画への参加者が一人もいないときなどは、厳しく受け止め、その原因は何にあるのかを分析するようにしています。
 では居場所としての心地よさなどはどのように測るべきなのでしょうか?ここ1〜2年、ユーザーからの紹介で見学に訪れる方が増えているのですが、その方々から、「○○さんに『風』はとてもおちつけるところだと聞いたので」などと言われると、他のところで評価を口にしてくれていることがわかります。そうした口コミで来られる方が増えていること自体が肯定的な評価の表れと受け止めています。女性のユーザーの方に多いのですが、この4月・5月の「風」の庭は花が競うように咲いており、その様子への感嘆なども満足感の一つと受け止めています。

■言語化されにくい満足感
もっとも大きな指標は「契約の更新」です。この契約の更新は1年に1度、ユーザーと支援者が、ともに支援の点検を行う機会です。更新を継続するから単純に肯定されていると受け止めているわけではありません。支援計画を立てる際に、振り返りと展望とを具体的にユーザーと共に検討する中で、「風」への要望を既定の用紙に書いてもらうことで満足度を測るようにしています。
支援者としては、更新によって、また1年支援を託されたことを重く受け止めなければなりません。

■点検のフィードバック
 支援者としては、満足感の表明も不満足の表明も共に重要なユーザーの評価として受け止めています。満足の表明に対しては驕ることなく、更なる点検を通じて支援のあり方を見直し、不満の表明に対しても原因の追求は勿論のこと、改善の余地や必要があることに対しては速やかに対処していかねばなりません。
また、支援の基盤となる光風会の理念がユーザーに十分に理解されていない場合の不満については、粘り強く、そしてその理念を分かりやすく伝える工夫をしていくことで応えていきたいと考えています。
(鈴木 宗夫)

苦情を生かすために

今月14日に、強引な取立てなど違法行為が多発したとして、大手消費者金融「アイフル」に業務停止命令が出ました。
家庭裁判所が選任した補助人が契約取り消しを伝えたのにも拘らず、債務者に返済金を第三者から調達して返すように執拗に要求したり、債務者の母親などに電話して債務者などを困惑させたりしていました。債務者や弁護士らは対策全国会議を組織し、民事訴訟を各地で起こしています。「アイフル」の不祥事が表立たなかったので、「アイフル」から借金人が続いていました。
取立て方法に問題があったとしても、借金している人は苦情を言うことはできません。「この取立ては返済のためには当然」と言われてしまえば、何も言い返すこともできません。相手の弱みにつけこむやり方です。

消費者金融にからんで、3つの問題があります。
第一に、利用者側の問題。第二に、提供する側の問題。そして、第三に、いわゆる金利のグレーゾーンに代表される制度上の問題です。

ところで、皆さんは、「宇都宮病院事件」に代表される事件はご存知でしょうか。精神科病院における不正請求、医療者による患者に対する虐待、使役労働等を行った事件です。
福祉施設でも同様です。精神・知的・身体など、様々なハンディを持った障害者の福祉施設がありますが、特に、知的障害者の施設では、苦情を言語化することが難しい障害者が多く、施設の実態が外部から見えにくいため、虐待等の問題が明らかになりにくい状況があります。
言語化できたとしても、援助を受けている身としては苦情を言いにくく、「援助してもらっている」という意識を強く持っている障害者は、更に言葉にしにくい心情にあります。また、苦情を出すことで、他の利用者や職員から「わがままな人」といった印象を持たれてしまうのではないかと考えてしまう障害者もいます。

「アイフル」問題と単純に対比することはできません。なぜなら、前記の一つ目の問題の前提が違います。すなわち、利用者=患者は自ら選び・進んで入院・入所したわけではないからです。しかし、第二・第三の問題は共通している部分があります。

まず、第二の問題。消費者金融の場合は、如何に苦情を表面化させないかという課題に様々な「手法」を用いて対応しています。福祉施設も同様の歴史を歩んできました。
しかし、これからは、如何に言いやすい状況を作るかが福祉の側に課せられた課題です。利用者にとっても、施設設備の不備やスタッフの対応の不満、提供される支援の内容等について、自分の考えを表に出すことで、援助・支援の在り方を変えていくことにつながります。
光風会は苦情窓口を設置していますが、なかなか苦情として言語化されてきません。そのため、継続利用を希望する契約更新時に、要望というかたちで、ユーザーからの意見を聴取しています。要望というかたちになると、施設の設備、訪問・支援の内容について意見が出てきます。苦情としては言語化しにくいことでも、要望とすることで言語化しやすくなります。

そして、第三の問題。すなわち制度上の課題が、福祉施設においては、第三者評価です。
人権侵害を防ぐためにも、第三者評価をどう生かしていくのか、今度一年をかけて検討していく課題です。                          
(出澤華奈子)

「陽(yoo)」
満足度の危険性

笠間の桜は4月に入ってちらほら咲き出しましたが、陽では今日は何処其処の桜が何分咲きかが話題にならない日はありませんでした。散り始める迄の10日間に三度ほど雨が降りましたが、順調に咲ききり存分に楽しむことができました。桜の花は全部開いた後、木全体がもう一度ふわっと膨張します。枝や幹が花に隠れまさに「霞か雲か」の世界でこれぞ満開という気がします。そして満開は散りだす準備でもあります。

●感覚に自己責任を
さて、今回のテーマは「利用者満足度」ですが、一般企業では「顧客満足度」という言葉を使っています。満足度というと数値のように聞こえますが、「満足」というのは感覚です。アンケート調査などでよく見受けられる基準は、外観重視か内容重視かサービス重視かといった顧客の価値観により千差万別であり、それらを比較する基準となるデータが示されるわけでもなく、顧客各自の日常に立脚した感覚で満足できたかどうかの回答の集積です。結構あいまいな基準の数値のようですが、企業のイメージ戦略という点では利用度の高い数値のようです。その基本となる考え方には自分の感覚にも自己責任が伴うということだと思います。

●どう利用されるか
かつて国勢調査で「国民総中流意識」という結論が出て話題になったことがありました。振り返って現在は社会の貧富の二極化が問題視され、これからも加速するという見方もあります。終戦後国民全体が心身共に傷つき、貧しさを体験し助け合いながら生きてきた社会の枠組みを変えたターニングポイントは、その「国民総中流意識」という結論を導いた調査だったのではないかという気がしてなりません。「戦後は終わった」とかのいくつかのキャッチフレーズでは変わらなかったのに。
その一連の流れが桜と重なり、あの時私たちは満開の桜のような気分だったのかもしれないと想いが至ります。例えばその調査で「あなたは現在の住環境に満足していますか?」という質問があったとします。そういう場合全国平均データと自身のデータを調べ比べて回答する人は少数派だと思います。大部分は自身の日常に立脚して胸に手を当て自身の感覚に問うて回答を出したのではないかと推測します。「満足度」というのは一見基準がありそうでその実個人の感覚に負うところが大きい危ない尺度の様な気がします。思わぬ利用のされ方があるという認識が必要だと思います。

●自己責任から共通認識へ
「消費者金融摘発にからみ被害者の割合でもっとも多かったのが認知症・障害者」というニュースに接した時や「3障害のうち最も就労を希望しているのは精神障害者」という厚労省のホームページに接した時、「障害者自立支援法に伴う障害区分認定追加27項目中最も多いのは意欲低下」という研修を受けた時、自己責任を基本とする一般社会に対して、その認識基盤の点検ときめ細かい支援の必要性を痛感します。目指すは当事者・一般社会・行政・医療・福祉が障害に対する風通しの良い共通認識を持つことです。

 「陽」では年度の変わり目にユーザーの利用継続手続きを行いました。本人意思確認と共に陽への要望と将来の希望を尋ねました。一応全員継続でしたが自立支援法導入後の利用料額次第という方が2名いました。「陽」への要望では言葉は違っても全員現状維持希望。将来に関しては、回答者20名中、人並みの幸せ1名、バイト希望2名、一人暮らし2名、考えると具合が悪くなるので考えられない2名、他は今のまま続けばいい、と答えています。
利用者満足度はこの現状をどうとらえるのか判りませんが、満足という言葉が持つひびきとは異なる彼らの現実があるのは確かです。
(鷺野谷まち子)

陶 芸 コ ラ ム 

県「障害者の美術展」の審査に立ち会った事があります。作品には身体・知的・精神と各障害を表記し、それぞれからバランスをとって表彰対象を選出します。
絵画、書道、工芸、写真と部門に別れ、各部門に専門家が審査員として関わっています。出品されている作品には、1つの施設で取りまとめて出品した物と、個人で出品した物があります。知的障害者出品物は、ほとんど施設がまとめて出品しているようです。
作品?を見ていると中には教材や手芸キットで作った?物を出品している所も少なからずあります。そこには公募展への出品という基本的な意識は無く、文化祭との区別は付きません。主催者が目的や基準を明確にしていないために、出品への姿勢を持たない施設が出ることで、何でもありの仲間内だけのイベントになって行きます。
社会から評価されることを目的の1つとしているのであれば、審査責任者を明示することが必要で、玉石混交した内容にしないことが大切です。 
私の知る陶芸の公募展では、審査員の名前を明示することはもちろん、入選作品のレベルを上げることが展示会の存在を高めることにつながっています。     (菅原淳一)
I love me で行きましょう!
―自己評価―

自分で自分のことを好きにならなきゃ
他の人から好かれるわけがない
I love me になれば自然に 
I love you は やってくる

これは私の友人の言葉です。
シンプルなことですが意外にこれができる人は少ないようで、私自身も〜しなければならない、とかこう思われたい又は思われたくないと、いつもどこかで人の目を気にして、自分を縛っている所があります。
そうすると自分のことなのに本当はどうしたいのかがわからなくなって、悩んだりいらいらして人のせいにしてしまい、そんな自分が嫌いになってしまうのです。
 
幸い私は自由な時間と楽な人間関係の中で生活できるのだから、
これからは
I love me で行ってみよう!

あるユーザーさんにこう話したら、
「僕もこれからなるべく I love me で行きます」
と共感してくれたのでちょっと嬉しくなりました。
(伊藤 まり子)


「こども研」
フシンシャ ―他者の目からの「気づき」―

昨年、栃木県の小学生が殺害され茨城県内で発見されるという痛ましい事件が起こりました。茨城県がその現場になり犯人もまだ逮捕されていないという状況の中、県内各地の学校や地域では子どもを守る取り組みがなされています。

先日、小学生の娘が「今日ね、学校でフシンシャについて教わってきたよ」と話しました。その内容は、道で知らない人から誘われた時にはどのように対処したらよいか、など実際に子どもたちが疑似体験しながら学んでいくことが中心だったそうです。子どもたちを守る取り組みの一環として、子どもたちにもそのような学習の機会が与えられたようです。その晩、夕食を囲みながら、低学年の彼女にとって「フシンシャ」とはどんな人なのか、そしてどのように対応するのか、子どもなりの意見が出されました。「路上で生活している浮浪者は不審者だよね」「近所の人が私に挨拶しても、向こうは私を知っているかもしれないけど、私は知らない人なので挨拶しちゃいけないよね」といった、自分自身を含めたおとなの不安感や危機感、人をみる目などを反映した言葉に、苦笑し反省させられました。

そんな親子の会話がまだ頭に残っていた頃、4月6日朝日新聞茨城版「子どもを守る」という記事の中で水戸五軒小の取り組みが掲載されていました。昨年12月の事件後、集団下校をする子供たちの様子を見守っていた五軒公民館館長さんが「強制的な集団下校では放課後遊んだり、冗談を言いながら帰ったりすることができず、子どもにストレスになっているのでは」と気になり、校区内にある町内会の防犯ボランティア活動への協力を要請するよう学校に提案、下校時間帯に通学路の見守りや散歩を呼びかけたところ、それに応じた町内会の人たちが通学路に立ち、その結果、通常下校に戻り、放課後グラウンドで遊ぶ子どもたちも増えた、ということでした。
娘の通学する小学校でも、今年1月から3月まで集団下校になり、保護者や先生が地区パトロールや通学路の見守り、一緒に下校するなどの活動をすることになりました。大人たちは子どもが無事家まで帰り着いてくれてほっと安心、その日の当番を終えます。子どもたちは・・・特に今までと変わらない様子で帰ってくる子もいます。しかし、以前の放課後ののびのびとした空気を満喫していた子どもたちのなかには、窮屈な下校風景になってもいたようです。

 学校や保護者が子どもを犯罪から守るという当たり前の発想から行った取り組みですが、当事者である子どもたちにとっては安全という贈り物を受け取るかわりに、放課後ののびのびした空気を失っていたのです。この新聞記事は、その様子を第三者である公民館館長さんが見て取り、当事者である子どもたちにとってより満足できる方法へと改善されていったということであり、外から風穴を開けた出来事と思えました。よかれと思ってやっていることが、取り組んでいるうちに1つの視点でしか見えなくなることがあります。そこに、違った視点から物言ってもらうことの大切さを感じさせられた記事でした。

人が人を支援していく中でも、同じような状況が生まれがちです。支援する側の自己点検はもちろんのこと、ユーザーが支援に満足しているのか、何を求めているのかを知り、またそれでもなお見えないことを第三者の目により気づかされていく、そんな積み重ねがより良い支援へとつながっていくのではないでしょうか。
(杉山 眞理子)

子どものコラム
乳幼児健診はどこへ行く?

「子どもの問題研究所」では、笠間市・桜川市・行方市と委託契約し、乳幼児健診における心理相談に対応しています。
乳幼児健診(以下、「健診」)とは母子保健法により、身体発育や精神発達の面で節目となる1歳6ヶ月児、3歳児に対する健康診査の実施と栄養の摂取に関する援助が規定されているもので、市町村の保健センターで行なわれています。
「健診」は、疾患や障害を早期に発見することを目的とする他、母親への子育て相談の場所としても位置づけられています。実際に「健診」に関わっていると、育児不安を抱えて相談を求めてくる母親が多くなっており、相談員としてもそのような母親への支援となる対応の必要性を感じています。
4月に入り、岩間町(笠間市)と玉造町(行方市)の1歳6ヶ月児健診に対応しました。どちらも、今年度から「健診」の実施方法が変更されていました。相談員の業務は「チェックリストによる障害児の発見」が優先となり、「相談」は後日行われることになったのです。発達障害者支援法の施行により、「障害児の早期発見」が重要視されるようになったことも関係しています。相談員には、保健師の判断だけで見逃してしまう事のないよう、「おかしい子」を選別することが今まで以上に義務づけられています。
 母親の側に立ってみます。障害児の選別に重点を置いた「健診」は、安心して子育て相談できる場として捉え難いばかりか、子どもの問題を指摘されるのではないかと不安を抱く場にならざるを得ません。
市町村合併の混乱の中、保健師の方々は新ためて「健診」の在り方を模索しています。
 発達障害者支援法施行後、障害児の早期発見が強調されるものの、支援施策については具体化していません。何のための「健診」か、「チェックリスト」の問題性、そして具体的に「どうする」のか。
子育て支援としての乳幼児健診の在り方を点検することが、「子ども研」の研究課題です。
(高橋 寿子)

倶進会助成事業について
2005年度に展開してきた、財団法人倶進会助成事業「若い母親を対象とした『子育て支援連続講座』」が3月で終了しました。
三年間にわたる「子育て支援連続講座」の実施及びその際導入したグループワークの有効性と「子育て支援マニュアル」使用の効果についての研究結果は、「『育てることは伝えることー子育て支援連続講座』実施報告」としてまとめました。 
この事業の報告を通して、「子育て支援」への新たな視座を提言しました。関係行政担当者、保育士、幼稚園・小学校教諭等、子どもの発達課題に関わりを持つ支援関係者等に配布します。
「子ども研」は今後も、地域における「精神福祉」の源流として位置づけている「子育て支援」の課題を研究していきます。
(高橋 寿子)

・本部・精神福祉相談
法人本部より

第15回 理 事 会・第9 回 評議員会 を開催しました
月 日  3月11日(土)
場 所  三の丸ホテル 2Fメリリン 
議 案
(1)報告事項
@各事業体年度末事業報告
A財務状況報告
B障害者自立支援法への対応について
→提案どおり承認されました。
(2)審議事項
第1号議案 2006年度事業計画
第2号議案 2006年度予算
→提案どおり承認・議決されました。

障害者自立支援法が施行されました
1.三障害のサービスを一元化
  今までのような「身体障害者施設」「知的障害者施設」「精神障害者施設」といった障害別の施策ではなくなります。事業主体が「主たる対象者」を決めることはできますが、原則として、三障害に対応することとなります。
2.機能分化
  すなわち、事業主体は、「誰に対して」という障害種別の視点ではなく、「何を行うか」という「事業」の視点で活動を組み立てることが求められます。「事業」は、大きく分けると、「介護給付」・「訓練等給付」・「地域生活支援事業」の3つに分かれます。
3.障害程度区分
  高齢化の進んだ人や重度の障害者に対する「介護給付」の場合は、障害の程度により、利用できるものとできないものがあります。
4.10%の利用者自己負担
 「介護給付」・「訓練等給付」を利用する場合は、費用の10%を利用者が負担します。
  すなわち、施設への「補助金」ではなく、「給付」という考え方になります。
 「地域生活支援事業」に関しては、まだ詳細が定まっていません。
5.市町村がサービスを一元的に提供
 「サービス」は、市町村が主体となって実施されます。ですから、「地域生活支援事業」の内容や自己負担額等も、市町村によって異なります。
その他、規制緩和・就労支援の強化等々、福祉の仕組みが変わります。

障害者自立支援法による施設体系の変更は、10月実施です。
精神障害者社会復帰施設は、「地域生活支援センター」を除いて、5年の移行猶予期間がありますが、下図のような対応を図って行くよう検討しています。
5月28日の理事会・評議員会で事業報告及び決算を審議後、
7月9日・9月3日に理事会・評議員会を開催し検討していきます。


精神福祉相談コラム
救急車はどこへ行くの?
 茨城県における「精神科一般救急」は、平日は夕方5時から夜9時までを一ヵ所の当番病院が対応し、土日休日は朝8時から夕方5時までを三ヵ所の当番病院が対応するという体制で、365日稼動しています。
 「精神科一般救急」への受診依頼の相談は、本人や家族の他に、病院や消防署の救急隊等からもあります。現実には、当番病院の数や受診時間が限られているために、受診に結び付かないことも起こります。しかし、救急隊の場合は、患者を救急車に乗せた時点で医療につなげることが義務付けられています。
例えば、「街中でお腹が痛いと倒れた人を見かける。誰かが救急車を呼んだ。救急隊員から病気を持っているかを問わる。患者は精神科に通院していたことを伝える。救急隊は、患者からの情報を基に病院を探す。精神科病院に入院したことがあるというので、一般の救急病院は受け入れに応じない。精神科病院にあたるが、当番病院はいっぱいで対応不可」
という場合に、救急隊はどのように対処するのでしょう。
 救急隊は、お腹が痛い状態を優先した対処であれば、「精神科一般救急」の窓口に相談することはありません。しかし、患者から精神病に罹ったことがあるという情報を得たことで、受け入れ先の病院へ精神病であることも伝えます。そのことで、どこの病院からも精神病を理由に、受け入れを拒否されます。その患者は「お腹が痛い状態にある救急の対象者」ではなくなります。このような板ばさみに、救急隊は置かれてしまうのです。
 これまで、一般の病院が精神病の患者を拒否するケースは多々起きています。一般の病院では対応できない、他の患者に迷惑がかかる等の理由からです。同じ医療機関にも拘らず、精神病に対する差別・偏見は根強く残っています。

 救急車に乗せてから精神病を抱えていることが判った場合には、長い時間救急車内に患者を抱えたままの状態になることが予測されます。しかし、緊急時なのですから、受け入れ先の病院が決まるまで何時間も患者を車内に留める事態は起きてはならないことです。また、一人の患者に救急車が占有される状態は、救急体制を阻害するだけではなく、税金の無駄使いにつながります。
 現在の茨城県における「精神科一般救急」は、患者を病院に連れて行く援助体制にはなっていません。家族が連れて行くことを前提としています。相談者の中には、病院まで移送してもらえると期待して電話をかけてくる家族もあります。周囲の協力を得られない、本人が受診を拒否している等、様々なことが考えられますが、「私たちではどうにもできない」と言って受診を断念する家族がでるのが現実です。
精神科領域では、救急体制の不備により、家族が移送をゆだねる「患者の移送を専門に行う民間会社」の出現という深刻な社会的課題が出てきています。
(高島 真澄)

ディファレント・アート
―自然生クラブ公演から―

つくばカピオで4月8日(金)、NPO自然生クラブが主催する「ディファレント アーティスト イン レジデンス2006―ある母親の物語―」公演会が開催され、「風」ユーザー3名とスタッフ6名で参加してきました。
自然生クラブについては、以前「花信風」第1号「市民活動」の欄で紹介しました。皆さんの中には、光風会3周年記念会の「田楽舞」を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。知的障害を抱えるアーティストたちが、太鼓演奏と踊りを披露しました。

今回の公演は、3回目の「ディファレント アーティスト イン レジデンス(滞在型アート活動)」による成果の発表です。5カ国から障害を抱えるアーティストとその活動を支援するアーティストたちが集い、筑波山麓で10日間共同生活をして、協働で演劇を創りだしました。
この公演では、「アンデルセン生誕200年+1」ということで、アンデルセン童話の中から「醜いアヒルの子」「ティーポット」「影法師」「ナイチンゲール」の4編と、アンデルセン生誕200年の記念事業作品である「ある母親の物語」が上演されました。

「ある母親の物語」はデンマークで活動している、仮面製作家キアステンを中心とした、市民参加型の劇団「デュンケル・フォルケ」という仮面劇団が製作したものです。出演者全員が、ちょっと怖くてそれでいて愛嬌のあるお面をかぶっていました。この上演にあたり、劇団員とプロのジャズミュージシャンたちが、ディファレントアーティストたちによる国際的な協働企画のサポートアーティストとして出演しています。 

文字で伝えきれないもどかしさを感じますが、出演したディファレントアーティストたちは、それぞれが自分の国の文化を基盤にしつつも、知的障害による存在感から出てくる「不思議な魅力」を創りだしたのです。その中でサポートアーティストたちは、障害者の創りだす演劇的「世界」に対する認識を侵すことなく、全く「違った」舞台表現の世界を組み立てる「はたらき」を援助していました。障害者アーティストたちの独特な身体表現とプロダンサーの動きとが絶妙に融合した演劇に、参加者は引き込まれていきました。

 日本における福祉展や発表会の多くは、相変わらず素人の職員が障害者に教えた作品を「障害者が一所懸命作った」という健常者の基準で作品を見せています。まさに「見せもの」でしかありません。日本の福祉展のあり方は、「障害者の人権侵害」と言っても過言ではない、と、この公演からあらためて感じました。
公演終了後、出演者全員がフロアーに出てきてお面を取った顔を見せ、参加者と共にジャズミュージシャンの演奏で踊りました。公演数日前から自然生クラブの人と会いたいと言っていた「風」ユーザーも自然にその輪に入っていました。

今年8月、社会福祉法人光風会・生活支援センター「風」5周年記念会、笠間焼工房「陽」・「子ども研」三周年記念会を開催します。そこで、自然生クラブと「風」ユーザーとの「協働」で創り上げた作品を発表します。文学のボクシングが朗読し、それに自然生クラブが音楽とダンスを創作するという、精神障害者と知的障害者との「協働」製作です。

さらに9月には、「第2回ゆらゆら展」を企画・開催します。「陽」メンバーと陶芸家スタッフ、地元の陶芸家たちとの「協働」で創りだすグループ展です。「陽」のメンバーたちは、精神障害という独自性と創造性を「かたち」にしていきます。
(高島 真澄)


編集後記

ある飲食店のレシートの中に「サービス料」という欄があり、お金を支払った後で何をサービスしてもらったのだろうと悩んでしまったことがあります。必要の無いサービスならばその分のお金を返して欲しいと思いました。根が貧乏性だからでしょうか。
自分が満足するために、どんなサービスがあり、どのサービスを受けているのか知りたいものです。
(檜山 郁)

評価基準は、国や地域の文化、社会状況、個人の価値観によって全く違います。又、利用者満足度という秤は外部にはありません。
「美味い―まずい」「頭がいい―悪い」「きれい―汚い」…
ある女の人が産まれた時、祖母から言われた言葉「平安時代に生まれていたら『美人』だったのにねぇ・・・」
まさに価値基準の問題です。
(斎藤 悟)



 

Copyright(c)2006 koufuukai,All Rights Reserved.