特集「活動を評価するということ」
おかげさまで、社会福祉法人光風会は五周年を迎えることができました。来る8月20日(日)には記念会を開催します。
5年という節目にあたり、今までの活動内容を「評価」すべく、アニュアルレポート(事業報告書)を現在作成中です。その評価をもとに、障害者自立支援法に対応した新事業展開を図っていくよう準備を進めています。
・巻頭言「不及 正念相続」(吉田昭久) この八月二十日(日)に、すでにご案内のように社会福祉法人光風会創立五周年記念会を開催いたします。
精神障害者地域生活支援センター「風(FOO)」を事業体として展開してから丸五年が経過し、その後展開した精神障害者小規模授産施設笠間焼工房「陽(yoo)」と、二十一世紀を展望した子育て支援と児童・思春期の心理的課題への対処方略に関して具体的な点検をするために開設した子どもの問題研究所とは丸三年、それぞれの事業を継続できました。
そこで、三周年記念会を同時開催いたします。午前十一時から昼食時の会食をはさんでの三時間、光風会としての五年間の活動内容に関するプレゼンテーションを、光風会理念に即して企画・提示いたします。障害者自立支援法実施に伴う光風会の新事業体系への、皆様のご支援ご協力をお願いする次第です。
記念会は当然のことながら、「風(FOO)」のユーザー、「陽(yoo)」のメンバーは、八月二十日の記念会に出席する、できないにかかわらず皆さま共々共同の開催者です。
今回の記念会中に行われるプレゼンテーションの一つに、知的障害者と共同生活体を筑波山麗で展開している「NPO自然生クラブ」の出演があります。光風会三周年記念会に出演したのに続いた二回目の出演です。
この企画は光風会の実践課題の一つである「協働(Cooperation)」の実践的な具体化です。最近福祉の世界や他の領域でもよく使用されるコラボレーション(Collaboration)の訳語「協働」と同じですが、意味づけを異なって使用しています。このことに関しては稿を改めます。
アニュアルリポート等ですでにご承知のように生活支援センター「風(FOO)」ではユーザーの自主活動としてのクラブ活動があります。その内の一つ「文学のボクシング」のメンバーが行う朗読と、「自然生」のメンバーが独自に行うプレゼンテーションとの、「協働」の具体化を目指した共演です。彼等が造り出す一場の「世界」を期待しているところです。
ところで、光風会の創設に直接かかわる活動として、茨城県精神障害地域ケアー研究会(略称「茨精研・ICCAM」)の約十八年にわたる活動があります。「茨精研・ICCAM」についての活動経過については、今年八月発刊配布の「イッカムの活報」で周知していただきたいところです。
「茨精研・ICCAM」のNPOとしての理念・ミッション(Mission)は、世界に誇れる精神福祉の創出を茨城の地で目指す研究活動です。この理念の具体的実践の場と現実的機能として、光風会の事業を展開して来たところです。光風会開設の理念形成に五年間の実践活動に基づく点検が必要でした。
キイワードは、
「自由」(全て自らに由る)、
「自然」(自らのあるがままを)、
「自律」(自らが自らの主人公)
です。
この件に関しても稿を改めます。
とまれ、二宮尊徳の自戒の「ことば」とされる「日新、日々新、日新」は、光風会活動の原点です。
この光風会の理念が、五年間あるいは三年間の活動を通して得た達成度はどれだけか?個々のユーザー、メンバーへの援助・支援を通した実現性はどうか?まさしく、自画自賛ではない第三者による『評価』が必要です。その際には「評価の目」の基準を明確化することを前提とします。これから更に五年間の新たな視座に基づく実践を通して、光風会としての理念の持続性を図りたいと考えます。
今までの有形無形の援助・支援に感謝するとともに、今後一層の鞭撻をお願いいたします。
※正念相続とは 自分自身の描く思いや作り出した考え、あるいは先達の思想や理念を自分のものとして、日常の行動に具体的、実際的に生かし続けること
・「風(FOO)」
「人」として生きる時、 安心できる「居場所」
「誰」を評価するか
社会の中で生きていく時、評価を受けることが何度かあります。学生にとっては「成績表」、社会人にとっては「給与」や「ボーナス」というかたちで評価を受けます。
「風(FOO)」の職員は人事考課を受け、ケース検討を行い、支援の方向性や内容等を確認することで《支援者》としての評価を受けています。一方、ほとんどのユーザーは、障害の程度によって、年金や手帳の等級といったかたちで《障害を抱えた人》としての評価を受けています。
扱いやすい利用者
障害者としての評価はそれだけではありません。福祉施設を利用する時、「扱いやすい利用者」として支援者側に評価される場合が少なくありません。精神障害者に限ったことではなく、知的障害者や身体障害者も含めて施設の利用者は、施設にとって都合がいい人として評価されることがあります。
支援者の言うことに対する理解力があり行動することは出来るが、その行動をするべきかどうかの判断が困難である人がいます。特に、障害程度が軽く、従順な知的障害者は、「扱いやすい利用者」と評価され得ます。茨城県では、そういった障害者を利用し、金儲けを目的にしていた「赤須事件」がありました。
現在も事件や虐待ではないにしても、施設や職員にとって都合のいい人として、支援者の小間使いになり雑用を仕事とされ、「施設を利用する人」ではなく、「施設が利用する人」としての扱いを受けている障害者がいること・施設があることは否定できません。
長期入院や経験不足から生じるもの
「風(FOO)」の中でも、「扱いやすい利用者」として評価されてきた・されてしまうのではないかと感じることがあります。
例えば、長期入院や社会経験・体験が少ないことから自分の力で判断し行動することに対して自信が無く、支援者の指示を待っているユーザーや、私たちに判断してもらおうと自分で答えを出さずに言葉を待っているユーザーの姿を目にした時です。自身のことを自分で判断できない、又は、判断しようとしないために、支援者の指示の通りに動くことで、結果的に「扱いやすい利用者」になってしまいやすいのです。
今までの生活の中で、自ら判断し行動することを求められない生き方をしてきた場合、判断する材料や基準がないのですから、どう自分が行動したら良いのか分からないのは当然です。
そんな障害者に、手取り足取り、言葉をかけて援助することも可能です。しかし、いつも・いつまでも援助者が付き添っている訳にはいきません。もちろん、親・兄弟であっても同様です。
当たり前のことが出来ない現実
「風(FOO)」では、自分で使うものは自分で準備し、自分で片付けることを支援しています。
例えば、お茶を飲みたい時は、自分で湯飲み茶碗を出し、お茶を注ぐ。飲んだ後の茶碗は洗って棚に戻すということです。そんなことは当たり前であり、簡単なことだと思えるでしょうが、「風(FOO)」のユーザー全員が登録した時から難なく出来たことではありません。
家庭の中で出来ないと判断され、何も言わなくてもお茶が出され、飲んだ後にいつの間にか茶碗を片付けてくれる人がいたのか、洗ってしまうという行為を必要としない生活をしてきたのか。それ以外の理由があるのかも知れませんが、出来ないユーザーがいるというのが「風(FOO)」が開設した当初の現実でした。
現在は、片付け忘れてしまうユーザーはいますが、声をかけることで気付いて行動しています。些細なことではありますが、「人」として生活する上でとても大切なことだと考え、支援しています。
居る場所が「居場所」ではない
「風(FOO)」では、このような当たり前のことを当たり前に行う支援をしています。些細なことからですが、誰かに行動を制限されることがなく、「人」として自ら考え行動する「自由」な「居場所」を創ってきました。
もちろん、自分だけが利用する場所ではないので、皆が同じ物を共有し、誰もが気持ちよく利用することが前提です。それは、茶碗のことだけではなく、入浴の仕方、クラブ活動時の部屋の使用方法、タバコを吸う時のマナーなどにもいえることです。
もう一つ「居場所」の要素として大切なことは、「安心」です。
「風(FOO)」では、以前から事業報告書で報告している様に、利用希望者以外の施設見学を原則として認めていません。「見学」ではなく「見物」になるからです。施設見物だけではなく、精神障害者である人間見物になるという、人権侵害に関わる課題として捉えています。
Open Dayを行う意味
賛助会員や関係機関など、光風会を支援していただいている方に対して、二〇〇五年度は二回目のOpen Dayを設定しました。
「どんな人たちが『風(FOO)』に興味を持って来館するのかを見ておきたい」というユーザーもいました。逆に、「どんな人たちが来るのか分からないし、ゆっくり出来ない」と言い、その日の利用を自分で判断し、来館しないユーザーもいました。見学者が来館することで「居場所」ではなくなってしまうと考えたのかも知れません。ユーザーが安心できる「居場所」とはこの様なことだと、ユーザーと共に感じ、学び、奮闘しているのが五年目の状況です。
安心できる「居場所」の創造は、強制ではなく共生
五月三十日、「ミーコ」が新しい共同生活者として加わりました。子猫です。
猫の嫌いな私は「居場所」をミーコによって奪われることになった部分がありますが、ユーザーたちは、ミーコが来たことで「かわいいね。動物がいるって落ち着くね」と言って一緒に転がって寝ています。もちろん、苦手とするユーザーもいます。個人的には、猫の可愛さを理解することは出来ませんが、「風(FOO)」で共同生活者となった今は、どの様に折り合いをつけ、共生するかが私の課題です。
いろいろな「人」「動物」「植物」があって当たり前です。嫌いなものや苦手なものがあることも当たり前です。しかし、世の中は「私の都合」では動いてはいません。
「人」への支援も同様です。施設に気に入られる「扱いやすい人」を作り出し、支援という名によって「出来の良い精神障害者」をつくりだすことにならないよう、これからも支援していきたいと考えています。
(出澤 華奈子)
病院から地域福祉に出てきて
今まで医療の「絶対性」
医療は医学的良心に基づいて適切な診断と処方が患者に対して与えられる、といった医学的権威を認め合う関係が《医療側‐患者側》で一般に成立しています。
一方の福祉では、《権威を信頼する‐される》という感覚とは異なり、対等性を維持しつつ、《援助・支援する‐される》という関係になります。その関係性の違いが、様々な「疑問」への私たちの対応の仕方によってユーザーの示す不安に表れることを、この五年間の中で幾度も体験してきました。
医療や治療に対する疑問は、「あってはならないもの」、すなわち「患者としての不安を引き起こし、治療や治療関係を妨げるもの」であり、医者・患者の双方から否定や排除の力として働きます。
そのため医療に関する疑問や不安は医療関係者には直接表現しにくいものとなります。以前勤めていた精神科病院(注1.)の中でも、心理職は医師や看護師とは少し離れた存在として患者さんに見られていましたから、本来なら医師・看護師・薬剤師などに相談すべき内容の相談もずいぶんありました。代表的なものが、「薬」に関する疑問や不安です。それは「風(FOO)」という地域福祉の現場に出てきても変わっていません。
私たちは、ユーザーが持つ「疑問」や「不安」を、封じ込める対象ではなく、自分自身を明らかにする材料として積極的に扱います。但し、「疑問」や「不安」に対して医療関係者の代わりに答えるわけにはいきません。
何が疑問であり不安であるのかを出来うる限りユーザー自身が明確化し、誰にどのような形で表現して解決を図っていくべきなのかに気づき、自分自身で対処できるような支援。これが私たち生活支援者としての大きな仕事であると気づかされてきました。それは相談だけでなく、様々な日常の中の「困った」ことへの対応の仕方でも同様です。地域で生活する力を身につけてゆくには、自分自身で解決するまでには至らずとも、最小限の援助や支援で済むようになることが大切になるからです。
薬の重さ
医療に関する話題の中で「薬」にまつわる話はとにかくよく出ます。いわく、「増やされたくない」「減ると具合が悪くならないか不安」「眠れなくなったらどうしよう」「副作用ではないか?」等が主ですが、ときには頓服の使い方やお酒を飲みたいときはどうすればいいかなども話題になります。それらは本来、医師や薬剤師に相談すべき内容です。
現在は一般向けの薬の解説書も簡単に手に入るようになっただけでなく、薬局でもお薬情報として処方時に薬の名前と簡単な効能書きや注意事項が記載された紙が渡されることが多くなりました。にもかかわらず「風(FOO)」で「薬」が話題になりやすいのは、医者に相談しにくいと感じていると同時に、「治る」ことが一大関心事であるために、簡略化された情報だけでは不十分であると感じているからに他なりません。
福祉職員に自分の「疑問」を話しても医者には知られないこと、答えや解答を求めているというよりは自分の中の不安を単に吐き出したいこと、ある程度薬の話の内容を理解してもらえる相手と話すことで安心したいことなどが背景にあると感じています。
それでも十年一昔と言いますが、以前よりは精神科の医師もずいぶん薬について説明するようになったとユーザーの皆さんからの相談を受けていて感じます。それでも何かが足りないと多くのユーザーは感じているようです。
今、福祉の世界は身体・知的・精神の区別なく援助・支援が受けられるように大改革が進行中です。今後は医療の世界も改革が迫られることは必須でしょう。絶対的な権威性に基づく患者との信頼関係というよりも、対等な関係になろうとする信頼関係の構築が必要になってきています。
相談は軽い?
「風(FOO)」での相談の内容は多岐にわたりますが、薬に関する相談のように直接的な解決を求めていない場合も多く、「不安の吐露」としての相談が多いことに気づかされます。それは牛の咀嚼行動のように何度も似たような相談として繰り返されるため、一見すると相談が軽いのでは?という印象すら抱きます。
しかし、「疑問」や「不安」の咀嚼は自分自身でしか行えないものであり、その咀嚼ペースも一人一人異なることは当然です。大切なのは自分自身で咀嚼し、自分なりの対処法を見いだすことそのものですから、咀嚼しやすいような言葉かけや視点の提供という「支援」や「姿勢」が最も大切なのだということにも気づかされてきました。
周りの人間に必要なこと
精神障害者は以前から行動制限(注2.)を受けるのは当然の存在と見なされ、精神科病院の中だけではなく、様々な場で経験する機会そのものを奪われてきました。家族や医療関係者を含めて私たち精神障害者の周りにいる者にとって必要なことは、如何に適切な経験の場と機会を提供できるか、そして「失敗」に傷つき疲れた心を休ませる環境を如何に提供出来るか、です。
同様に「与えすぎる」ことはお金や物・知識であれ、本人自身が獲得しようとする欲求そのものやその手段を磨く機会を奪う、という意味で有害です。不憫さや哀れさを感じたり、何か事故を恐れて様々な機会を奪うことは、関わる側の「一人前の人間にはなり得ない」という差別感を反映しているのだということにも気づかされてきました。
ユーザーの自分自身で対処しようとする力を削ぐ関わりをしていないか、今後更に支援のあり方を自己点検してゆきたいと考えています。
(鈴木 宗夫)
注1. 精神科病院
これまで精神病院と表記・呼称されてきましたが、本年六月の医療用語改正法により、本年十二月より「精神科病院」と正式に表記・呼称されることが決まりました。
注2. 行動制限
法律的には、欠格条項といって、精神障害者が「してはならないこと」が定められています。たとえば、「プールに入ってはいけない」・「議会を傍聴できない」・「運転免許をとってはいけない」などです。これらの条項はなくなりつつありますが、市町村の条例などでは、まだ残っている場合もあるようです。
法律以外でも、「包丁を持たせるのは危険だから料理をさせない」などということもありました。
自発性の支援として、すること、しないこと
精神保健福祉を専門学校で勉強していた時には、これからは「やってあげる福祉」ではなく、「障害者自身の自発性を生かす支援」が大切だということをくり返し教わりました。
卒業後、「風(FOO)」の職員採用実習試験としてクラブ活動や夕食会に参加しました。
夕食会には十数人が参加していたと記憶しています。台所には数人のユーザーとスタッフが立っていましたが、主にスタッフが調理をしていました。その時、スタッフがユーザーにどのように関わっていたのかは分りませんでしたが、試験が終わって感想を聞かれた時、「職員がやってあげ過ぎている」と答えたことを覚えています。
「障害者自身の自発性を生かす支援」とは、障害者が自ら進んで全てのことを行い、支援者はそれを無条件に受けいれ、ただ傍にいて見守り、なにも「やらない」ことだと思っていました。食事会でいえば、ユーザーが献立から買物・調理・片づけまでの全部を、スタッフが何も言わなくともやることだと思っていました。
クラブ活動でいえば、「〇〇クラブを立ち上げたい」というユーザーの思いは、支援者が何もしなくても当然持つべきものであり、それは自然に表現されてくるものでなければならず、かつ「〇〇クラブを立ち上げたい」という意向には無条件で支援するということです。
しかし、クラブ活動として申請があったものは何でも認め、運営もユーザーの好きに任せることは、ユーザーへの迎合です。当たり前のことですが、ユーザーにだけ何をやりたいのか決めることを求め、支援者自らは何も考えない、何もしないことは支援ではありません。支援者が何もしないのであれば、「風(FOO)」でのクラブ活動として行わなくとも、気の合う仲間同士が声をかけあって好きに活動すればいいことです。
職員採用試験のときは、自発性を生かす支援を狭い視野でしか捉えていませんでした。支援者が何を「する」かという視点がありませんでした。
もちろん、スタッフが料理をつくって「あげる」ことは支援ではありません。ただ傍にいてなにも「やらない」ことも大切です。ただし、「やらない」ことが支援として成立しなければなりません。包丁を持ったことのないユーザーに対して、ただ傍にいても支援にはなりません。スタッフがまず「やってみせる」ことも必要です。
「風(FOO)」ではスタッフが、クラブ活動立ち上げのきっかけをつくるために、行事を企画することもあります。企画した行事がクラブ活動に発展することをねらいとしたものです。以前は、そういったことも「やってあげる」こととして否定的に捉えていました。
スタッフが何を「する」か「しない」かが大切です。そして、その時のスタッフの価値観が問われることに気づかされてきました。
クラブ活動の立ち上げや継続についても、スタッフの評価や価値観を押し付けることになっていないかの点検が常に必要です。
例えば、支援者がクラブ活動の継続は良いことだという価値観をもっていれば、クラブ活動の継続をユーザーに求める関わりになるからです。「継続は力なり」ですが、単に活動を継続することは、マンネリ化を生みます。
「ユーザーの自発性」と「スタッフの支援課題」
活動の評価とは、これらの狭間にあるとても難しい問題だと思っています。
(川島 麻子)
第三者評価は あくまでも手段
「利用者満足度(顧客満足度)」この言葉は、これまで民間サービス業界だけに重要な課題と考えられてきました。しかし、現在の構造改革により、福祉サービスが「措置」から「契約」による利用制度へと変化し、本来の利用者主体のサービスへと改善されはじめました。さらには、医療サービスにおいても質を保障することが強く求められる様になり、利用者に対して医療提供状況に関する正しい情報を供出し、良質な医療を確保していく事が重要な課題となってきています。
質的に高い医療を効果的に提供するためには何が必要なのかという視点から、第三者評価が有効であると考えられています。その際に、第三者機関として誰がどのような評価基準でサービスの質を評価するのかが問題となります。日本の医療機関における第三者評価として、日本医療機関機能評価機構による病院機能評価(注1.)やISO9001(注2.)などがあります。評価を受けることにより「改善すべき問題点が具体的にわかる」「患者、地域住民、連携先の医療機関への提供情報の内容が保証される」「スタッフの意欲向上と経営効率化が推進される」「患者、地域における医療の信頼性を高める」などの効果が期待できるとされています。
ただ、効果を求めるあまり、《これらの評価を得る事は「病院の成長・組織の改善や活性化」達成のための単なる通過点である》という認識からずれ、評価取得が最終目的となる危険性があります。そこからは、「顧客に安心感を与える」「満足度を向上させるシステム作りである」といった評価取得本来の目的が取得過程の中で欠けていきます。
「誰のためにサービスを提供するのか」が抜け落ちぬようにする事が大切です。第三者評価が病院や施設等の格付けを取得するための形式的手段とならない様に、絶えずチェックすべき視点を私たち自身で持ち続ける必要があります。
(栗田病院 松本 直行)
注1. 厚生労働省・日本医師会等13団体が出資する財団法人。医療機関の機能評価やその研究を行っている。
注2. 135ヶ国が加盟する国際標準化機構。1947年設立。「9001」は品質マネジメントシステム。
・「陽(yoo)」
メッセージ 伝えたいもの伝わるもの
入梅前から引き続きの日照不足の影響が、今年の梅雨を特徴づけています。アヤメやアジサイの花もちが良かったことに比べ、バラなど陽性の花の時期が短かった気がします。全体的にどの花も小さめで少なめですが、今遅れて咲いていないカラーなどはこのまま咲かずじまいなのかと気になります。
とはいえ、世の中はワールドカップ一色で、日本の天気よりもドイツの天気の方が話題になっています。開幕直前の防寒着姿から十日足らずで三十℃を越える夏に突入するなんて、タフな国民性の土壌だと思いました。
*数値評価
日本チームは初出場から今回で三回連続の出場ですが、長いワールドカップの歴史から見れば、ほんの新参者です。予選リーグ2敗1分けで敗退しました。決勝トーナメントに残った十六チームは、欧州9・中南米5・アフリカ1で、4連勝したチームが優勝です。
こういった数値は評価であり、当然FIFAランキングに反映します。しかし、全地球からワールドカップを見つめる何億もの眼は「全く違うもの」を見ている気がします。
*数値にならない評価
試合を見ていない人には伝わりにくいことですが、ブラジルチームのジーコに対する尊敬の念に感心しました。尊敬の気持ちというのはこのように表現するものなのかと、目から鱗ものでした。
ドイツチームのダンスステップを踏むかのようなリズムがチーム全員共通なのに驚きました。チーム一体の基はリズム?そういえば、ブラジルもサンバドラムをバスや控え室に持ち込んでいました。メキシコは細かいパスで組み立てるサッカーで、今大会、縫い目のないボールが採用され、中距離からの無回転シュートが効果的で、特に後半戦多発するチームが多い中、個性的でした。決勝トーナメントに入ると、どのチームも疲労、故障者、出場停止者で苦しい状況になります。メキシコは、延長戦に入って負けたのですが、最後までそのシステムは変わりませんでした。それはそれで個性的なメッセージでした。
*フィードバック
このようにそれぞれのチームが発信するメッセージは枚挙に遑がありません。そのメッセージがワールドカップを見つめる世界中のファンを巻き込んで、より高いところを目指すエネルギーをチームに生み出す源になっているように思いました。このファンの眼は数値であらわすのは難しいけれど、重要な評価で、これ無くしてワールドカップは存在できません。
*評価の目的
「評価」というものが単に選別の手段なのか、物や人を育むための手段なのか。その認識の違いが「評価」を全く異なるものにしてしまうと思います。
障害者が社会にどんどんメッセージを発信できて、受け手がそれを味わって応援する渦ができるような社会の実現が最終目標。なんて、毎夜の睡眠不足の脳でボーっと考えながらも、今晩のナイスゲームに気持ちは馳せています。
(鷺野谷 まち子)
《安》《心》
朝の作業開始。
準備に入らず、話し始めるAさん。
「きょうは調子が悪くて・・・」
「手もだるくて・・・」
「病院へ行った方がいいだろうか・・・」
ただ聞いてほしいだけの時もあれば、
意見を求められる時もある。
ほっと一息ついた夕食後、自宅の電話が鳴る。
「もしもし、こんな時間にごめんなさい」
明日、工房でと思うが、
切羽つまった雰囲気は伝わってくる。
友人のこと、家族のこと、体調のこと、仕事のこと、お金のこと、病院のこと、薬のこと、きょう起きたこと、
これからのこと・・・。
《生きる》ことから発する諸々の気がかり。
それらを大きくふくらませ、
身動きがとれなくなることがある。
そんな時は、いつだって、
本人には《緊急》のことなのだ。
打ち明け、話す相手は、
人との関係で傷つきがあると、
慎重に選ばざるを得ない。
自分を受けとめてくれそうな人。
家族だったり、友人だったり、
指導員だったり。
《話す》とはどういうことだろう。
こちら側からは、ただ受けとめること、
きつさを理解することだろう。
助言や忠告は最小限にして、
メンバーが自らの力に気づくまで、
待つことを肝に命じる。
そして《話す》ことで、
気がかりが小さくなり、
安心にかえられたら、
次のステップに移ることができる。
メンバーが
しっかり自分の足で立つための、
ささやかな、お手伝いができたらいい。
(松田 真紀子)
陶 芸 コ ラ ムゆらゆら展
9月16日〜18日笠間工芸の丘で、第2回「ゆらゆら展」を開きます。
2年前の第1回展では、参加メンバーは自分の作る物も展示会の内容や意味すら理解できていなかったように思います。
前回と今回の違いは経験です。メンバーは前回程のプレッシャーはなく落ち着いた受け止め方をしています。普通は前回よりも良い物・違う物をと考えるものですが、未だ気負いも見えません。2年間で技術が上がったかと言うとマア・・・。
まだ、何も考えずに作れる程の技術もありませんので、いざ作り始めると懸命になります。粘土と不器用に格闘することが夫々の個性を映し出す物となります。見る人がこれを、どう感じてどういう評価を下すのか、興味深いものがあります。「障害者だから」とか「障害者なのに」というくくられた見方は余計だと思っています。
プロ・アマチュア・障害者・・・・人に関係なく、目の前の物を素直に見て感じて欲しい。「陽」と「メンバー」と「スタッフ」は評価されるために展示するのですから、それがどの様な評価であろうと受け止める義務を負っている
と覚悟しています。
(菅原 淳一)
・「子ども研」・精神福祉相談
〜育てることは 伝えること〜「子育て支援連続講座」三年間の実践
◆研究成果の周知
子どもの問題研究所(以下「子ども研」)では、二〇〇五年度、財団法人倶進会助成事業の支援を得て、「若い母親を対象とした『子育て支援連続講座』の実施」に取り組みました。
三年間に渡り一貫して取り組んできた「子育て支援連続講座」(以下「講座」)実施の全内容と「講座」に導入したグループワークの有効性及び「子育て支援マニュアル」(以下「マニュアル」)使用の効果についての研究結果は、「『育てることは伝えること〜子育て支援連続講座』実施報告」(以下「報告書」)としてまとめ、関係行政担当者、保育士、幼稚園・小学校教諭、子育て支援関係者に配布しました。
◆「気づき」を生む講座
子育て支援の取り組みは各所でなされています。その多くは子育てについての講演会、育児の専門家や先輩からのアドバイス、育児中の母親が悩みを語りあう場の提供
など、母親が現状を切り抜けるための一時的な支援、受動的に聞くだけの支援になりがちです。
子育ては一様ではありません。長い道のりでは想定外のことがおこります。その中で、「子どもの人格形成に直接的に影響を及ぼす存在」と母親を位置づけるとき、対症療法的支援では母親の「力」とはなりません。
それゆえ、「子ども研」では、母親自身が子どもの独自性に気づき、子どもとのかかわりの是非について、主体的な「気づき」を生む具体的支援が必要と考え、本「講座」を企画し、それを通して子育て支援の在り方を検討してきました。
「講座」を実施するにあたっては、「茨精研(ICCAM)」と協働で研修部会を設置し、その内容について点検してきました。
◆学会発表は社会的評価
社会的評価を受ける機会としては、二〇〇四年度には、「講座」に取り入れたグループワーク導入の視座と教材としての「マニュアル」使用の有効性について、第四十七回日本病院・地域精神医学会において報告。また、二〇〇五年度は、前年度の「講座」参加者への事後面接調査の結果に基づき、「講座」へのグループワーク導入の有効性と「マニュアル」使用の効果について、第四十八回日本病院・地域精神医学会において報告しました。
◆検討結果
学会発表等で検討し、確認できた内容は次の通りです。
・グループワークの手法を導入することによって、参加者はグループ内の相互作用を通して主体的に自分の問題への「気づき」を得る。
・具体的な子育ての手法を提示している「マニュアル」を使用することによって、実際的な対処方法を得る。
・対処方略の伝達者であるファシリテーターは、グループワークに参加し、参加者の相互作用を促進する。
・参加者は、主体的に問題にかかわることによって得た「気づき」を、日常的な子育てに生かす。
◆「育てる」から「育つ」へ
このように、指示、指導されるのではなく母親自身の主体的な「気づき」により、母親はそれぞれに変わります。三年間の「講座」の実践はそれを実証しました。このことから、子育て支援には、子どもを「育てる」の視座から、日本古来からの伝統的視座、子どもは「育つ」への転換が必要である
と「報告書」において提言しました。
(高橋 寿子)
コラム 最近、空気が薄くなっていませんか?
〜ひきこもるのは当然〜
高い山に登って空気が薄くなり、呼吸が苦しくなったとき、「個人の心肺機能が悪いから苦しむんだ」という評価はしません。空気が薄ければ、誰でも苦しくなります。走ることは厳禁で、しんどい時は、空気の濃い場所に下ります。
体と心を一緒にすることは乱暴かもしれませんが、ひきこもりの場合も同様だと思っています。「個人の精神機能が悪いから苦しい」わけではありません。「こころ」を取り巻く空気が薄いのです。
ストレス耐性という言葉があります。ストレスに耐えうる力ということです。山に登ることに際して必要な心肺機能を鍛えることがあるように、ストレス耐性をつけることは必要です。
しかし、適切な「評価」が必要です。その評価対象は、環境です。環境と個人との相関関係です。まずは、個人の問題としてだけ捉えない見方が必要です。
市町村こころの健康相談で、ひきこもりの問題が表面化してきています。数年単位ではなく、10年・20年ひきこもっている方の相談です。もちろん、本人ではなく家族からの相談です。詳細は書けませんが、話を聴いていると、義務教育時点で指導上の問題があることが想像できます。いじめられたこと等への対応が不十分だったという状況が見えてきます。
社会の空気が薄いのですから、決して走らせてはだめです。ゆっくり呼吸ができる居場所が必要です。相談者に対しては、まずは、窓を開けることから始めてはどうですかといった事を話すのですが、空気の薄い社会に向かって窓を開けることがいいのかどうか迷ってしまいます。
「からだ」を取り巻く「空気」で大切な要素は「酸素」
「こころ」を取り巻く「空気」で大切な要素は「ひと」
「からだ」や「こころ」を評価するのではなく、取り巻いている「空気」の状態を評価し、住みやすい空気へ変えていくことが精神福祉の課題です。
空気が薄いだけならまだしも、このままの社会状況が推移すると、ガス事故のパロマ事件ではありませんが、間違いなく一酸化炭素が出てきます。
怖いのは、人間は一酸化炭素を気づくことができない ということです。
(斎藤 悟)
・本部
活動評価を映し出す賛助会員数と民間団体助成
光風会の活動資金は、国や県、市町村からの補助金と賛助会員からの寄付金、そして事業に対する民間助成金等で成り立っています。
これまで日本における障害者福祉事業は、活動内容を問わず一律に公的な補助金や支援費で運営されてきました。この体制が、今年の十月より実施される「障害者自立支援法」によって大きく変わります。資金面に着目すると次の三点です。
1.各市町村の福祉計画に基づく予算執行
2.利用実績に基づく給付金の配分
3.利用者が費用の一割を自己負担
つまり、私たちの援助・支援に対する利用者の満足度や信頼度によって生じる利用者数の増減が、活動資金に直接反映するようになるのです。まさに、福祉事業も営業が求められるように変わります。
賛助会員に何を伝えられたのか?
私たちは、賛助会の発足当初より、光風会に賛助する会員数を増やしていくことが法人の活性化になると考えてきました。賛助会員には、年四回発行する季刊誌「花信風」や、法人全体の年間活動報告書「アニュアル・リポート」を毎年発行して、活動内容を公開してきました。
賛助会員と会費に変化がありました。光風会への支援としての賛助会活動を始めたのは、二〇〇三年十一月からです。一年目には約一八〇名の方が会員になっていただきました。それにもかかわらず、三年目には半数になるという厳しい状況になりました。これは、光風会の情宣活動に関して手を抜き、サボった結果でしかありません。
そしてこの結果を、以下に示すような「福祉に関わる光風会スタッフの姿勢」そのものの評価として受け止めています。
・賛助会員数が半減することは法人存続の危機 という認識をしてこなかった。
・未だに「補助金に依存した福祉」の感覚を持っている。
・精神障害者に関わることだけに満足し、福祉に依存して自らの「生活」を立ててきた。
・地道な地域啓発活動として賛助会員を募る という認識が欠落していた。
第三者評価としての民間団体助成
また、光風会(CLASS)は、両輪として位置づけてきた特定非営利活動法人(NPO)茨城県精神障害地域ケアー研究会「略称(ICCAM)」と共に、諸活動に対して民間団体の助成金を申請し、精神福祉を創り出す事業を展開してきました。各助成団体から、五年間で総額1千万円を超える研究等への助成を受けることができました。
民間団体助成による事業への対応は大変に厳しいものです。それは、助成金の有効活用を助成団体に明示するために、多くが一年間でその成果に関する報告書を作成し、成果発表を行わなければなりません。
私たちが研究助成を申請するのは、生活支援センター「風(FOO)」や笠間焼工房「陽(yoo)」、「子どもの問題研究所」の具体的活動に関する理論化を図る絶好の機会になると考えるからです。日常的に障害児・者支援にあたる現場では、とかく目の前のことで一杯になり、「いま‐ここで」の関わりが何の支援になるのかという理論的視点が疎かになりがちです。私たちが展開する精神福祉の内容が、これからの日本の社会にとって重要なのか、有効なのか
等々について、民間団体助成事業への申請をとおした第三者評価を受けなければならないと考えています。
以前、NPO活動のセミナーで、福祉関係団体の紹介内容について「いいことを一所懸命やっているのはわかる。だから何なの?」という助言をもらいました。自分たちの活動を理解してもらうことに一所懸命になりすぎ、どのような内容の援助を求めているのか分かり難いということです。「分かってもらえない」ことを、相手の問題に摩り替えていないか。私たちの課題として点検していかなければなりません。
(高島 真澄)
編集後記
▼将棋の加藤一二三棋士は、難解な局面のとき、相手側に実際に立って将棋盤を眺めます。盤面の趨勢をどこからどういう視点で評価するかは棋士によってまちまちで、形勢判断はプロでも見解が分かれることがしばしばです。▼目標が「玉を詰めること」と明確である将棋ですら盤面の状況判断が難しいのですから、目標が抽象的である福祉はより難しいといえます。▼また、私たちが立っている福祉という土俵を評価することは、立っていることが当たり前であるが故に困難です。どこに立っている、何を見ている、と認識するか。▼地球は丸いのかもしれませんが、大地は平だと私は「評価」しています。
(斎藤 悟)
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