社会福祉法人 光風会
花信風 子どもの問題研究所
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花信風

 
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第11号

-目次-
◆特集「活動を評価するということPart2」
◆理事長提言「江月照松風吹」
◆文化の窓〜時代状況の評価〜
◆日本軍山西省残留問題とは?
◆映画「蟻の兵隊」を観て
◆私は「お国の為に」と言って死ぬことは出来ない
◆福祉に豪華なホテルは似合わないか?
◆第二回ゆらゆら展の報告
◆「風(FOO)」

◆何の為に移動を支援するのか
◆支援の値段と価値
◆「陽(yoo)」
◆ラッキー
◆子ども研
◆仕事を評価するということ
◆編集後記

特集「活動を評価するということPart2」
前号は、光風会が5周年を迎えるにあたり、今までの活動を評価するという視点でみなさまにお届けしました。活動を評価するという時、評価の対象となる「実態」が必要です。
事業報告書(アニュアルレポート)も「形」として表したものの一つですが、あくまでも「文章」や「数字」です。それゆえ、「記念会」や「ゆらゆら展」といった「形」を提示することによって評価を受けることが、二つの行事を開催した趣旨の一つです。しかし、「評価」は、時代状況抜きには語れません。歴史教科書問題の例を挙げるまでもなく、私たちが今の時代をどう認識し、どのような立場で時代に向かうかが、私たちに問われてくる課題です。そこで今号では、映画「蟻の兵隊」をとおした時代状況認識を踏まえ、5周年記念会・ゆらゆら展・障害者自立支援法等への対応課題をお届けします。



・理事長提言「江月照松風吹」(吉田昭久)
■「原爆」実験の意味するもの
北朝鮮の「原爆実験」実施の宣言は、世界に大きな衝撃を与え、現在もその後の推移に世界中が神経を尖らせていることを、マス・メディアの報道で知ることができます。北朝鮮の核保有は、現在の地球上の核バランスを壊すものですから、特に北朝鮮核実験実施以前の核保有国が緊張するのは当然です。国際的な水準での核バランスが、アジアの核保有に傾くことは、地球上の核保有競争をリードして来た、米国を先頭とする欧米先進国にとって由由しきことです。核の傘による安全保障は建前で、核保有による潜在的「脅し」が本音ですから、一九六四年中国の核実験の後、一九九八年のインド、パキスタンの核実験の実施は、米国と旧ソ連を両極とする核保有バランスを大きく変えるものだったのです。
元はと言えば、「原爆」を世界で初めて開発したのはアメリカであることはご承知の通りです。世界制覇を目論んだナチス・ドイツとの核開発競争で、ナチス・ドイツからの亡命ユダヤ人物理学者をも総動員して造り出したのが「原爆」です。大義名分は、「民主主義」の敵であるナチス・ドイツより先に「原爆」を所有することでした。しかし、実際に使用したのは、「一億総玉砕」を国是とする頑冥な日本との戦争を早期に終結するという、これまた大義名分による、日本に対してでした。旧ソ連との、第二次世界大戦後の世界支配戦略競争の実証として、実戦的核実験の標的とされたのです。「平和」はいつも大義名分です。アメリカ、旧ソ連に続いてイギリス、フランスの順に核保有。その後の推移を見ると、イスラエルの潜在的核保有を視野に入れれば、西洋 キリスト教と東洋 イスラム教との核保有・支配の確執が、北朝鮮核保有阻止の世界的動きの背景に見えて来ます。

■ロンドンの女性教師の思い出
開発当初の「原爆」を超える現在の核爆弾の破壊力を、地球上の市民が現実として知らないが故に、核廃絶の具体的施策を動きとして創り出せていません。しかし、一九七六年、イギリス留学中の体験は忘れることはできません。ロンドンで労働者階層の住む地域、イーストロンドンにあるウェーバーズ・フィールド・デイ・マルアジャステッド・スクールでの実習に参加した時のことです。当時すでにイギリスでは精神障害児に対する教育制度を造り出していましたが、その学校は、日本の中学校・高等学校年齢段階の青年期対応の機関でした。実習参加した授業でのことです。日本から来訪者があったから日本のことを聞こうという提案を担当の先生がしたのです。生徒は中学校上級学年生と高校一、二年生相当、十名くらい。担当の先生は若い女性教師でした。話し合いが「原爆」被爆国日本、その被爆被害の状況などに及んだときのことです。すでに生徒たちは写真等で「原爆」の被害についての知識を持っていました。女性教師の発問が「日本における原爆教育の現状」に及んだとき、「原爆は悪魔の所業」、「世界に向って原爆の恐ろしさを、声を大にして伝えるべき」と、大粒の涙を流しながら訴えられたのです。この時の驚きと感動とを今も新鮮に、鮮明に想い出します。

■障害児・者の「生きられる時間」
わたくし達は、障害児・者が地域で、「生き、老い、死に行く」人生が送れるよう援助・支援することを、日々の活動として組み立てて来ました。現在も継続中です。そのことをわたくし達は、わたくし達が生みだす社会的価値と位置づけています。それを生みだすための前提条件は、平和であること、平和を維持することです。
自然災害が高齢者や障害児・者にもたらす被害については、ここ十数年の間に起こった一九九五年の阪神・淡路大震災や二〇〇〇年の三宅島噴火、二〇〇四年の新潟地震においての例を待つまでもないことです。いわんや、戦争においておや。近未来の戦争モデルとされる、湾岸戦争やイラク戦争における被害の状況は、TV映像から充分に想像できることです。
「平和の維持」のために、わたくし達は何を「為す」か、「為す」ことなのかを日々の活動の上に問うことなのだと考えています。つまり、「平和でなかったら、なくなったら、何を「為す」ことが不可能となるか」の評価・点検の位置づけが必要となるのです。
わたくし達が障害児・者と「共に生きる」と考えるとき、ノーマライゼーション、インクルーシヴ社会の実現を目指すとき、障害児・者の「生きられる時間」を本気で考え、本気を保証する、日々のわたくし達の覚悟と決意とが前提となるのだと考えています。反戦平和。障害児・者の「生きられる時間」は、平和以外には保証できないことです。

※江月照松風吹;読み方は「江月照らし松風吹く」です。後の句として「永夜の清宵、何の所為ぞ」と続きます。わたくし達が受け取る世界は、江(揚子江)の上には月が輝き、風は松を渡って吹いているという、秋の夜長の清々しい風景です。つまり、なんでもない日々の「平和」の姿・かたちの現実化です。


 

・文化の窓〜時代状況の評価〜
蟻の兵隊
蟻の兵隊 ・・・ 戦争はまだ終わっていなかった! 
アジアの平和と日本国憲法を考える十・十五水戸集会
主催 : 憲法を生かす水戸の会
会場 : 水戸市国際交流センター
内容 :
1.講演 矢田部 理 氏
2.鑑賞「蟻の兵隊」池谷薫監督作品
「蟻の兵隊」の概要を紹介しましょう。
今も体内に残る無数の砲弾の破片。それは“戦後も戦った日本兵という苦い記憶を奥村和一(八十歳)に付き付ける。
かつて奥村が所属した部隊は、第二次世界大戦後も中国に残留し、中国の内戦を戦った。
しかし、長い抑留生活を経て帰国した彼らを待っていたのは逃亡兵の扱いだった。世界の
戦争史上類を見ないこの《売軍行為》を、日本政府は兵士たちが志願して勝手に戦争を続
けたとみなし黙殺したのだ。
「自分たちは、なぜ残留させられたのか?」真実を明らかにするために、中国に向かっ
た奥村に、心の中に閉じ込めてきたもう一つの記憶がよみがえる。終戦間近の昭和二十年、奥村は《初年兵教育》の名の下に罪の無い中国人を刺殺するよう命じられた。やがて奥村の執念が戦後六十年を過ぎて驚くべき残留の真相と戦争実態を暴いていく。これは、戦争被害者でもあり加害者でもある奥村が《日本軍山西省残留問題》の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリーである。
憲法改「正」への声は、安部政権が発足してからますます大きくなり、それを煽るかの
ように、TVや新聞では北朝鮮が行った核実験のことを毎日取り上げています。そして、日本が「核」を持つのではないかと、米国をはじめ中国、韓国、アジア諸国が懸念しています。何よりも不安に感じるのは、日本政府が「非核三原則」で貫くとはっきり言い切らないことです。
参加した集会には、光風会関係者六名とスタッフの中学三年生の息子さん一人が参加し
ました。
第二次世界大戦の歴史が証明したように、ナチスドイツにおいて真っ先に犠牲になった
のが障害児・者です。 
私たちが、いついかなる時にも障害児・者の側に立って援助・支援していけるか、その
究極の場が戦争です。戦争中、福祉が成り立つわけがありません。むしろ障害児・者、高齢者、子どもは足でまといの存在でしかなくなります。福祉に関わる私たち自身の性根を問われる事態です。
私は、反戦に関する書籍やマンガ、写真、映画、TVドラマ等をとおして、自分自身の中にもあるで
あろう《人間の残虐性》を、戦争というものが人に目覚めさせてしまう と知りました。しかし、残留孤児や従軍慰安婦の問題、原爆症の認定問題等、現在も戦後処理の課題として残されているとはいえ、どれもが過去の事実としてしか受け止めてきませんでした。
「蟻の兵隊」は違いました。戦争は続いていたのです。戦争体験者の中に、「戦争ができる人づく
りの教育」が六十年経過してもなお生き続けていることに、八十歳の主人公が「気づき」ます。そして、
「私はまだまだ戦争を知らない。どのような残虐行為をしてきたのか。だから知らなければならない」
と、活動を続けています。八十歳になる老人の後ろ姿は、平和とは、誰かに与えられるものではなく、
私たちが創りだし続けていくことでしかないと、私たちに伝えています。
(高島 真澄)


日本軍山西省残留問題とは?
終戦当時、中国の山西省にいた陸軍第1軍の将兵59,000人のうち約2,600人が、ポツダム宣言に違
反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流。戦後なお4年間共産党軍と戦い約550人が戦死、700人が捕虜となった。元残留兵らは、当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし「祖国復興」を名目に残留を画策したと主張。一方、国は「自らの意思で残り、勝手に戦争をしつづけた」とみなし、元残留兵らが求める戦後補償を拒み続けてきた。
2005年、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告した。

・「蟻の兵隊」評
靖国神社に集う人々から考えた
このドキュメンタリーのある一場面。旧日本兵の奥村さんは靖国神社に出かけていきます。 そこには、「靖国神社って何が祀ってあるの?」という若者、兵士の格好で参拝に来る元軍人であろう男性や戦争を経験していない世代の青年、戦後数十年終戦を知らずにひとり南方の島で潜伏を続けていた旧日本兵、が登場します。また、場面変わって、戦後中国大陸からの引揚げ時に計画された非人道的な施策を「昔のことなので忘れた」と言って口を閉ざす旧軍人、彼を奥村さんが訪ねていく姿が映し出されます。 奥村さんは、日中戦争の戦後も中国に残留させられ、中国の内戦に参加させられた旧日本軍人の生き残りとして、補償を求め訴訟を起こしていく中で、日本の司令官の命令で「残留させられたのだ」という証拠を求めるため、中国への旅に出かけます。訓練の名のもとに中国人を刺殺したという、妻にも語れずにきた過去をも明らかにしていく奥村さんがいる一方で、奥村さんとは対極的な戦後を生きてきた人たちが靖国で映し出されていました。 彼らはどんな気持ちで戦後を生きてきたのだろうか、問いかけたくなります。 忘れたいほどのことがあったのでしょうか。戦争への反省をすることなく、フタをし続けて過ごしてきたのでしょうか。あるいは、あの戦争を肯定しなくては自分を保つことができなかったのでしょうか。 そして戦争を知らない世代も、過去どんなことが行われてきたのか知ることなく過ごしてきてしまったのではないでしょうか。 真実を知ることはつらいことでもあります。自分ならできるのか、とも。しかし、戦後六十一年経ち、もしかしたら今は新しい戦前になりつつあるのでは? そんな「今」だから奥村さんの行動から発せられるメッセージをしっかりと受け止めて、自分にできることから、とにかくできることをしなくては!そんな思いを抱きました。  (杉山 眞理子)



映画「蟻の兵隊」を観て
中国で終戦を迎えながら、なお日本軍人として三年以上も共産軍と戦い続けた元初年兵が、当時の真実は何であったのかを辿ろうとするドキュメンタリー映画。中国に残された資料などからは、軍の幹部が日本を復興させることを目的に日本軍として残ったことが明らかであるにもかかわらず、帰国した兵士とその戦いで戦死した兵士は自らの意思で中国に残り共産軍と戦ったとされ、帰国後もそして今なお正当な元日本軍人として扱われていないことに対して余命を掛けて真実を明らかにしようとする。
靖国神社には多くの参拝者が訪れ、中には靖国神社がどういうところなのかを意に介さず、初詣気分で訪れる若者もいる現実を淡々と描き出す。戦死した戦友は靖国神社に英雄として祀られることもなく、真実を追う主人公もまた、祀られることはないであろう。
自分や戦友たちを神や英雄として祀ってほしいのではない。むしろ祀ってなどほしくはないのである。当時、初年兵として上官から命ぜられるままに、捕虜を銃剣で突き刺したことなどを正直に語り、そんなことをしてまで戦った意味は何処にあったのかを、自分自身に問いかけながら、当時の真実を追うのである。
現在も存命中の当時の関係者を訪ねて回るが、中国軍と密約を交わした経緯などを知っているであろう当時の高級参謀は、「忘れた」と門前払いにする。
働き蟻は女王蟻を守るために黙々と働き、死んでゆく。兵士もまた上意下達の命令に逆らうことは許されず、何でもする他はない存在である。戦後六十有余年を経たにもかかわらず「勝手に中国に残って戦った」とされる二千数百名の人々がいる。
改めて、権力者が下の者には潔さを説きながら、自らはいつまでも誤りを認めようとしない身勝手な事実に、愕然とすると共に、腹の底から憤りがこみ上げてきた。
こうした事実を多くの国民は知るべきであり、過去を隠蔽・美化して戦争を再準備しようとする動きに強い警戒心を持つべきだと思う。
(鈴木 宗夫)



私は「お国の為に」と言って死ぬことは出来ない
「『お国の為に』と言われて、『死』を選択することが出来る若者がどれだけ居るのだろう・・・。少なくとも、私は『お国の為に』と言って死ぬことは出来ない」。「蟻の兵隊」を観た私の感想です。
「このままでは、死んでも死にきれない」「死んでいった仲間たちが、どんな想いで死んでいったかを考えると悔しくて」という奥村さんの言葉を聞いて、「どうしてそこまで仲間のためにするの?」と思った自分がいる一方で、「私自身は仲間をそれだけ思えるの?」とハッとさせられました。
困った時、苦しい時に手を差し伸べてくれる友人や仲間は居ます。しかし、戦争のような厳しい状況になった時、私自身が奥村さんのように動くことが出来るのだろうかと考えた時、自信はありません。考えなければいけないことなのですが、憲法9条が改正され、日本が戦争の出来る国となった時のことを、今の私は想像することが出来ません。
今の私が出来ること。それは、「信念を持ち、仲間と出会い、仲間と共に生きることの覚悟」なのだと考えています。それが、「茨精研」や「CAMCAM」、そして、これから出会うであろう新たな仲間だと考えています。
どんな理由があろうとも、人が死ぬのは人生を全うしたときであり、決して戦争で死ぬことではないと思います。戦争を起こしてはいけないと強く思います。
(出澤 華奈子)



福祉に豪華なホテルは似合わないか?
光風会設立・地域生活支援センター「風(FOO)」開設五周年
笠間焼工房「陽(yoo)」・子どもの問題研究所開設三周年記念会を終えて

光風会は、一周年、三周年、五周年記念会の開催場所に、県内でも大変豪華なホテルを会場に選びました。このことについては、以前より「何故こんな豪華なホテルを使う必要があるのか?」「贅沢すぎる」「福祉イメージにマイナス」等の批判を受けてきました。善意、慈悲によって成り立つ福祉は、贅沢であってはならないのです。
長い間、私たちは精神障害者を社会から隔離し精神病院に収容してきました。そして、つい最近まで「欠格条項」という規定で、法的にプールや博物館等への利用・入場の制限を、精神障害者に課してきました。「精神障害者=危険人物」として公的に扱われ続けてきたのです。精神障害者自らが県内一番のホテルで自分たちの活動を報告することは、現在の茨城県においてノーマライゼーション社会の実現を図る上で、大変重要な意味をもつと、私たちは考えました。
さらに、現代社会の状況は、便利さと速さを競うことで目まぐるしく変化しています。それに煽られますます忙しく生活する中で、私たちは、障害児・者や高齢者、子どもたちの存在や彼らの生きるペース等を無視した忘れがちになっています。
その重要性を考える機会がありました。精神障害者グループホームのQOLについての検討会でのことです。「町内会に隠してグループホームを設置する」ということに対して、「町内会に入らなければ、災害の時に、おにぎりの数に入らなくなる」と言うのです。障害者が存在を隠すとはおにぎりをもらえなくなると、稲敷市で介護事業を展開している佐藤さんが素朴に疑問を投げかけてくれたのです。 
私たちは、その言葉にハッとしました。平和な時は、おにぎり配給など考える由もありません。しかし災害や非常事態、地震・水害、地球温暖化による異常気象、そして戦争が起きた時、「ここに自分がいる」ことを誰が気づいてくれるかが、重要なライフラインです。
このライフラインを絶やさぬように、町内会に反対されようが、気にかかる存在として精神障害者が地域の中で生活し続ける援助・支援が重要なのです。そして、社会に対して、精神障害者が自分の存在をどのように示していくかが課題となります。
最近、障害者だけを特別扱いにした展示会や大会が各地で開催されていますが、ノーマライゼーションと逆行した発想だと、私たちは主張してきました。一般市民として精神障害者が生きていることを、自らカミングアウトする精神福祉の実現を目指してきました。障害者を特別視した発表会や大会等とは違う「形」を提示する必要性を考えてきました。
五周年記念会では、NPO法人自然生クラブと生活支援センター「風(FOO)」のクラブ「文学のボクシング」との協働で、「華蔵院のネコ」という茨城県の民話を上演しました。自然生クラブの知的障害者と精神障害者との共演で、彼らの独自の感性を見事に形にして、参加者から喝采を受けました。精神障害者が自らの活動報告を行う場所として、豪華なホテルを使うことを当たり前に受けとめられる時、光風会が記念会会場としてあえて象徴的に豪華なホテルを活用とする必要はなくなるのでしょう。
さて、その成果はどうだったのでしょう。
記念会への出欠返信はがきが続々と届いていた時のことです。私は、一通のはがきに目が止まり、その内容を読んでピーンと緊張感が走りました。「七十六歳となり、心身ともにおとろえを感じる今日この頃です。ヒゲさんのガンバリ見せていただきましょう」という、茨城大学名誉教授の保坂宗重先生の一言でした。保坂先生は、光風会に関わる私たちにとって、厳しく評価をしてくださるまさしく第三者です。記念会当日、保坂先生より「やっていることが、良くわかった」という言葉を受け、光風会の取組みが独り善がりではなかったと実感しました。
今年十月より障害者自立支援法がいよいよ始まりましたが、その節目として、私たちは八月に記念会を企画・実施することができました。これまでの五年の間に、私たちが精神福祉のあり方をどこまで創りだせたのか、そして私たちを支援してくださる皆さんに「精神福祉のあり方」を伝えることができるか。福祉は、私たちがいくら他の福祉施設とは違う援助・支援をしてきたと言っても、外部の人には何も見えません。
私たちは、光風会の理念と実践をどのように形にして見せるか、そのものが精神福祉の具体的提示として位置づけました。第三者評価を受けるには、精神障害者が豪華なホテルに気後れせずに楽しんでいる姿を、堂々と発表する姿を、参加者の皆さんに直接見て感じてもらった上で、第三者評価を受けることにしました。
この記念会をとおして、皆さんからの第三者評価を受けました。参加者、返信者の一言等を紹介します。 (高島真澄)

堅苦しくなくできた。練習してきたものが形になってよかった。
(大森智美さん:「風(FOO)」ユーザー・当日のピアノ演奏)

料理がとてもおいしかった。記念会だからこその料理だと感じました。三周年記念会の時は分からなかった。(「風(FOO)」4年目の女性ユーザー)
ICCAMの活動報告の制作に関わるまでは、差別とか精神障害について知らなかったんです。障害者=出来ない人と思っていました。でも、この記念会に来て「そうじゃない」と感じました。
(横山みゆきさん:藤代デザイン事務所・デザイナー)

初めて参加して、光風会や「風(FOO)」の活動を知れたことが良かった。
(川崎一平さん:水戸南共同作業所・指導員)

四月から自立支援法が施行されましたが、本当に障害者の自立につながるのでしょうか。現場から本当に利用できるものに変えていかないといけないと思っています。がんばってください。
(小倉規敬さん:神奈川県職員)

華やかで楽しくて、温かい雰囲気でした。(前川孝子さん:笠間焼工房「陽(yoo)」メンバー)

会のご発展をお祈りし、又この国の福祉に、私も少しでも力になれるよう励んでいきましょう。
(大越成子さん:精神科病院心理)

格差が拡がる社会の中で福祉の役割は益々大切です。光風会のご発展と皆様のご活躍を期待します。
(矢田部理さん:「憲法を生かす会・茨城」代表・元参議院議員)

昔から理論と実践とを兼ね備えた活動を続けられ敬服いたしております。これからも支援を求める人々のために期待を大きくしております。(中原弘之さん:茨城大学名誉教授・発達心理学)
生活支援センター「風(FOO)」と出合ったのは、2001年の日本病院・地域精神医学会で、県立友部病院の先生に紹介してもらったのがきっかけでした。こういう会場(ホテル)は、個人的に好きではありません。(岡本省三さん:東京・陽和病院患者会)
光風会の「根」は広く深く根付いていくことを願っています。お便り関心をもって読んでいます。
(富田春江さん:元県立友部病院看護師)

今までわからなかった活動内容が分りました。(大槻典子さん:鹿島子どもの生命を守る会・主婦)

家庭裁判所も社会との接点を求めて模索しています。具体的に接点を持つ時期かと感じます。
(山崎朋亮さん:家庭裁判所調査官)



第二回ゆらゆら展の報告
笠間焼工房「陽(yoo)」では、作陶作業と創作活動を平行して行い、作陶技術の習得とやりがいや楽しみのある活動を目指してきました。「ゆらゆら展」は、創作活動の成果を形で見ていただき評価を受け、理解と支援を得ることを目的に行なっています。
「陽(yoo)」では、恒例の笠間焼陶炎祭参加の後、注文品の製作と季節行事をこなし、七月からはメンバーの作品つくり等準備を進めてきました。ゆらゆら展が二回目ということもあり、全体的に前回ほどの緊張感も無く、各々の出来る範囲での創作活動でした。
しかし、何か作品をイメージすることが困難になっているメンバーが多いこと、神経を集中し続けることの出来ないメンバーが多く、仕事に取り掛かるまでに時間を使いました。1人二点の課題に、制作の動機づけをする支援をしてきました。
夏が過ぎ、秋の気配を感じる頃、工房「陽(yoo)」の第二回作品展を、以下の企画で開催いたしました。

・工房「陽(yoo)」メンバーは、一人平均二点、大小取り混ぜ三十三点の作品を展示しました。展示前は作品数が少ない気がしていましたが、全体としてはちょうど良い量になりました。
・メンバーの作品は第一回から見ると全体的にまとまりが出てきた様に思います。創作活動の成果と言うよりは、技術的に自分の出来る範囲での作品が多くなったためです。
・スタッフの作品は創作時間に作った物や、自分の窯での焼成で、夫々の個性が出ていました。
・協賛作品は、会場の中で効果的な配置ができたと思います。陶芸作品だけでなく書やデザインと夫々個性的で見ごたえのある作品でした。
・全体的にメンバー・スタッフ・協賛者の作品構成は楽しめる内容であったと思います。
・九月十六〜十八日の来場者数を表2にしました。土曜日から祝日の敬老の日までの三日間でした。第一回目は四日間でしたが相対的に減っています。
・会場は、県立陶芸美術館の隣接地で、観光客も多いところですが、期間中は美術館の企画展が無く、休日にもかかわらず人の流れは少なめでした。
・福祉・行政・教育関係者が少ないことは情宣に課題が残りました。
「ゆらゆら展」は二年に一度の開催ですが、利用者にとっても我々にとってもちょうど良い間隔です。創るという事は人が変わらないと作品も変わりません。良くも悪くも評価の対象になります。それを次の創作活動に活かす事が意義になります。  (菅原 淳一)



・「風(FOO)」
相談支援の「質」
■相談することの難しさ
光風会では現在、インターネット環境を整備しつつあります。従来の電話回線から光回線に移行したのですが、この移行はそう簡単ではありませんでした。光電話を導入してから完全にシステムが稼働するまでに、二週間以上もかかったのです。
この間、様々なトラブルが発生する度に関連業者に電話を掛け、一つ一つトラブルを解決していきました。トラブル解決の相談をする中で、如何に電話での相談が難しいことなのかを身をもって体験しました。相手にはこちらの機器が見えず、こちらは説明しきれるだけの知識がなく、双方で手探りのような会話が繰り返されました。 
「風(FOO)」に電話相談する方の中にも、似たようなもどかしさを感じている人がいるのではないかと、この体験を通じて大いに考えさせられました。

■三障害統合
「風(FOO)」は、この十月から完全施行された障害者自立支援法に定める相談支援事業所となりました。新法の制度的特徴は、全ての福祉サービス実施主体を市町村としたこと。第二に、障害の種別毎にあった従来の施設サービスを解体し、障害種別毎ではなく、障害程度に基づいて機能別に事業を分けたこと。第三に、事業体の収入となるサービス報酬は医療や介護保険になぞらえたものとしたこと。第四に、全てのサービス利用に際して利用者は、原則的にその費用の一割を負担すること。これらが戦後の福祉における最大の改革と言われる障害者自立支援法の柱です。
障害者自立支援法になって、「相談支援事業」は、市町村が実施または委託する地域生活支援事業に組み込まれました(P十五「表2」参照)。従来の障害別から、三障害対応が可能となり、相談を利用する人にとっては「相談」可能な事業所が一気に増えることになります。

■事業所は増えるけれど
十月以前、精神障害者の相談支援を担ってきた地域生活支援センターは、茨城県内十二ヶ所でした。県内の旧精神障害者地域生活支援センターで三障害の相談対応を表明しているところはありませんが、従来の身体・知的あるいは介護保険の在宅介護支援センターなどで新たに三障害の相談対応を表明しているところがあります。
来年四月以降に事業所新設を計画している所と三障害対応への転換を表明している所を含めると、現在の三倍以上の事業所が精神障害者対応の「相談」を看板に掲げるものと思われます。精神障害者の相談機関が現行の三倍に増えて相談利用者の利便性が増すと言えるのでしょうか。

■「質」を担保するには
介護保険制度が始まった二〇〇〇年当初は、株式会社の参入を認めたこともあって、たくさんの介護事業所ができましたが、五年が経過した現在では認定を取り消される事業者が出始めました。ようやく「質」が問われ始めたのです。障害者自立支援法でも同じことが繰り返されるのではないかと思っています。
障害者自立支援法では「相談」を担当する人はケアマネジメント講習を修了した者と規定されているだけで、他に資格要件等は明記されておらず、専門性は求められていません。ケアマネジメント=サービス利用計画作成だとすれば、確かにその資格要件で十分なのかも知れません。
しかし、ケアマネジメントは単に「サービス」をあてがうものでないのです。ですから、ケアマネジメントをする上での「相談」は、身体・知的・精神それぞれの障害特性に対応できる、相談を受ける人の専門性が問われます。
障害区分認定調査も個々の障害特性に通じていなければ、機械的な調査になってしまいます。機械的に調査すると、障害区分判定が障害者の生活実態とかけ離れた結果になり、必要な援助・支援が受けられなくなるのです。このことは、国の予備調査の結果からもすでに明らかになっています。
相談支援事業者はその「質」が問われることを自覚しなければ、淘汰されます。第三者評価が重要になってきますが、相談そのものを第三者が評価することはできません。目に見える「形」として表すことができないからです。
規制緩和とはいえ、最低限の「質」を担保するためには、国は相談支援に携わる者の資格要件を盛り込み、県・市町村は障害毎の認定に際して調査員の経験に配意するなどの対応が必然となります。
(鈴木 宗夫)




何の為に移動を支援するのか
「風(FOO)」には、親の送迎で来館しているユーザーがいます。公共交通機関を利用する際、お金の支払いが不安だったり、人の目が気になったりすることが主な理由です。「風(FOO)」利用の原則は、自分の力での来館です。自力での来館ができないユーザーに対しては、契約時に、自力での来館を支援することの了解を得ます。
自力で移動することができない障害者に対して、障害者自立支援法では、移動の支援として「行動援護」と「移動支援」という事業が設けられています。「行動援護」の対象項目には、「パニックや不安定な行動」、「突然走っていなくなるような突発的行動」等が挙げられています。危険を回避するために行動の援護をするものです。「移動支援」とは、「社会生活上必要不可欠な外出及び余暇活動等の社会参加のための外出の際の移動の介護」とされています。
移動の支援をする時、交通機関利用に対する障害者が持つ不安は何によるものなのかと意識することが、支援者の最初の仕事です。私たちの持つ、スピードを優先する社会を良いとする価値観も大きな不安要因です。精神障害者が持つ不安についても、交通機関を使う時はキョロキョロ周りを見回さず整然と乗るもの、という私たちの価値観が影響しています。スピードや整然さを求める介護者・援助者・支援者の関わりからも不安は生まれるのです。移動の支援は、障害者を健常者のように「できるようにさせる」ものではありません。
知的障害者等の危険回避を目的とする「行動援護」や、車椅子の「移動支援」は、常時付ききりの「援助」が必要です。行き先の道順を教えたり、車椅子を押したりです。
しかし、精神障害者に対しては、調子が悪くなった時に一人で行くのは不安だという時等の、一時的な移動支援の要望に応えることが重要です。そして、あくまで移動の「支援」です。無事に目的地に着けることだけが評価の視点ではありません。むしろ、その人のペースで、その人の手順で、その人なりに対処できるよう支援したかが評価視点です。例えば、慣れていないバス利用の緊張から降車ボタンを押し忘れた時、ボタンを代わりに押してあげるのではありません。その人が、ボタンを押し忘れて行き過ぎてしまったことに気づき、次のバス停で降りようと自ら判断するまで待つことも必要な支援です。もちろん、その「失敗」が新たな不安を生むことのないように。
精神障害者への移動支援は、一方的に目的地まで連れて行くのではなく、障害者が自分の力に気づくためのものであり、利用者と支援者の「協働」の課題なのです。
(川島 麻子)



支援の値段と価値
利用料の設定
月額登録料五百円、一日の利用料二百円。これが「風(FOO)」の利用料です。障害者自立支援法施行前、県内の「精神障害者地域生活支援センター」と比べると最も高い料金設定です。利用料は、生活保護を利用している方も同じです。市町村・年齢・収入に関係なく、全ての登録ユーザーが、同じ条件で同じ設定金額の中で利用しています。
今までの障害者福祉では、無料が当たり前でした。タダで施設を利用し、食事を食べ、送迎してもらう。しかし、無料であることが、パターナリズムを生み出し、障害者自身が自らの「生きる」権利を主張すること阻害してきたのです。もちろん、利用料が高ければいいというわけではありませんが、タダであることによって、時に、利用する側は言葉を飲み込む思いをすることになります。「タダだから、希望や苦情を伝えられない」という関係は、利用者と支援者が対等ではありません。「現代資本主義社会」の中で「生きる」ためにはお金がかかるのです。
月額登録料五百円で出来ること
月額登録料五百円で、ユーザーは月一回の訪問を利用することが出来ます。登録しているユーザー四十八名中四十六名が利用しています。遠方では、片道三〇キロ近い距離の笠間市や常陸太田市などに住んでいるユーザーにも訪問をするため、移動だけで往復に約二時間かかってしまうこともあります。月一回の訪問とはいえ、対応スタッフの人件費やガソリン代を考えると、月五百円での訪問は赤字です。
しかし、訪問は精神障害者の生活を支援する上でとても重要な支援であると考えています。
訪問はなぜ必要か
地域で生活をする精神障害者の支える上で、訪問がなぜ必要なのかと思われる方も居るのではないかと思います。
訪問することで、ユーザーがどのように生活をしているのかを把握することが出来ます。そして、「家」を見ることで、ユーザーの育ってきた環境を知ることが出来ます。そして、ユーザーの抱える背景を把握することで、そのユーザーに対する支援計画を立てることが出来るのです。
もちろん、月一回の訪問で全ての事を把握することは出来ませんが、生活の支援をする上で訪問は必要不可欠な支援です。
支援を活用して、ユーザー自身が「かたち」にする
 訪問を行ってきた中での、あるユーザーとのやり取りです。
ユーザー「こんな遠くまで訪問に来てもらってうれしいなぁ。疲れたでしょ。さあ、お茶でも飲んでね」
出澤「ありがとうございます。いつも、お茶を入れていただいてすみません。気を使わないでください
ね」
ユーザー「いやいや、いいんだよ。一緒にお茶を飲もうと思って待って居たんだよ。一緒にお茶を飲む
人も居なくてさ。誰かと一緒に飲めるのが楽しみでね。一人で生活していて、客なんてほとんど来ないからね。誰かが家に来てくれるのっていいね。月一回来てくれるのが楽しみなんだ」
出澤「ありがとうございます。いただきます」
ユーザー「月五百円しか払ってないのに、こんなに遠くまで来てもらっちゃってすまないね。申し訳ないよ」
長年、一人暮らしで生活してきた男性の方とのやり取りです。ユーザーが入れてくれたお茶を飲みながら最近の様子について話をしたり、ちょっとした工夫で生活がしやすくなる事を一緒に考えたりしてきました。ちょっとした工夫とは、カーテンはなぜ必要なのかを布をかけて実際やってみる。コップを洗うときに洗い抜けてしまうところを確認する。手が拭きやすいように、タオルの場所をかけておくところを変える  などです。
「おばあちゃんの知恵袋」のような情報を支援者が持っていて、それをユーザーに教え・伝えている訳ではありません。自分自身が生活の中で、便利だと思っていることを、実際に動いて確認しました。支援者は、きっかけをあたえるだけです。
その考えるヒントを上手に活用することで、「自分でも考えてみたけど、こうやった方がいいと思うんだ」「こうすると便利なんだよ。今まで知らなかったからさ。よかったよ」と新しい提案をユーザーからされるようになりました。

支援とは何をすることか
一歩間違えれば、支援は「おしつけ」になってしまうことがあります。月五百円を支払い、家庭の中に上がりこんだ支援者から一方的に「こうしなさい」と言われるのは、誰も良い気持ちはしません。また、そのような関係の中で、ユーザーが支援を活用する気持ちにはなれないでしょう。
ユーザー自身も「風(FOO)」・支援者をどう活用したいのかを考えなければなりません。月額登録料五百円で何をするのかです。それを考えることによって、ユーザーと支援者の信頼関係を築いていくことが出来ます。
支援者には、「支援」という名の「おしつけ」になっていないかどうかの自己点検が必要です。

支援の価値
障害者自立支援法が施行され、障害年金だけで生活している方にとっては、「福祉」を利用することが痛い出費になってきます。医療にも自己負担が生じるようになりました。利用料が増えることはユーザーの生活に影響を及ぼす課題です。
それは、「風(FOO)」を利用しているユーザーにとっても同じです。「精神障害者地域生活支援センター」は、この十月以降、障害者自立支援法の基で「地域活動支援センター」として活動することになりました。そのため、ユーザーの負担金は市町村によって決められますが、現状況ではその負担金がどのくらいになるか全くわかりません。
これからは、ユーザーが自分にとって必要な支援を選択し、利用する価値があると判断するものに対し料金を支払っていくことになります。利用料が、安い・高いという見方だけではなく、どれだけ必要な支援を選択するか、その支援の価値がいくらになるのか、そこをユーザー自身が気付くように「支援」することが、支援者としての「価値」の一つであると考えます。
(出澤 華奈子)



・「陽(yoo)」
「自立」「依存」という言葉
今年程花をつけないまま季節を通り過ぎた植物が多かった年は無かったように思います。それは歯の抜けたような喪失感で、季節と共に巡り会う花々の存在を当然のように受けとめていましたが、地球環境はもっと大きく変わりつつあるのかもしれません。また、花を待つ心も想像以上で、今秋会えないことが決定的となったジンジャーの花と香りを夢想しています。
十月二十日〜二十一日東京で開催された「第四十九回日本病院・地域精神医学会総会」に参加してきました。事務局長の高島さんが「精神障害者グループホームのQOLに関する第三者評価課題」という発題で、現在調査中の事業に関する提言をしました。「病院や施設の敷地内に取り込まれた形のグループホームは、真に地域社会の生活と言えるだろうか」という疑問の提示に対して、参加者からたくさんの反応がありました。
今の社会では、当事者の都合や利益に立脚した主張が、「力の論理」で左右される傾向にあります。又、専門分野での議論が一般社会の感覚とずれを生む場合もあります。それらの是正のために「第三者評価」という機能が幅広く取り入れられようとしています。様々な審議会や一般人の裁判参加もその一端だと思います。
学会では、七会場二日間で大小さまざまな講演・シンポジウム・交流・展示が行われました。私は「多飲水・水中毒をどうするか?」というテーマと「依存症」に関する多くの発表を聞いてきました。日常現場に直結するテーマでした。
工房「陽(yoo)」のスタッフは、陶芸という縁で精神障害者と出会いました。言わばズブの素人が人と人として出会い、「陽(yoo)」の前身である共同作業所時代からの、長い付き合いの中でお互いの理解を深めてきました。もちろん光風会やNPO「ICCAM」には多くの専門家がいて、助言や教えをもらっていますが、絶え間なく過ぎる現場時間の中で足場となるのは生活者のスタンスです。同じ生活者としての共通項を見つけ、そこから様々な事柄を推し測っていきます。そんな立ち位置からみると、「依存」というのはとても興味をそそられる言葉です。それは専門分野から一般社会までクロスオーバーしていて、その意味合いが微妙に違うからです。
平成十八年度は、障害者自立支援法施行で大きな変革年になりました。「自立」に相対するのが「依存」です。しかし、「依存」は障害者だけのものではありません。社会人として就労や結婚をしていて一見「自立」しているように見えていながらその実、親への経済的依存・家事育児等の労働的依存は若い世代に蔓延しています。一世代前の「家社会」にも同じような現象はありましたが、依存と縛りとが拮抗していて、今ほど一方的な依存ではありませんでした。今の現象を「成長に時間を要する世代が自立するまでの猶予期間」として捉え、成長期間だからこそ許される親子のコミュニケーションの一形態なのだとすれば、「依存症」の「依存」とは一線を画するでしょう。
「自立」という言葉は、一般には国民の三大義務を果たす様な意味合いで使われますが、障害者自立支援法では、「病院や施設のような管理される生活ではなく、地域生活するうえで足りない部分だけ援助・支援を受け、その人なりの生活を営んでいく」という意味合いで使われています。
同じ「自立」や「依存」という言葉でありながら、立場や環境によってイメージするものが違うなら、お互いの理解はすれ違ってしまいます。けれど違いが判って丁寧に擦り合わせていけば、より深い理解に近づけると思っています。
(鷺野谷 まち子)


ラッキー
ゆらゆら展を終えて気が抜けたのか
最近作業に参加するユーザーは少ないように感じます

そんななか
帰りのミーティングが終わったあとにオカリナ二〇〇個の注文の電話がありました

作業後にも拘らず残っていったユーザーたちは積極的に包装作業を始めます
ここのユーザーたちはオカリナとなると張り切る
これにはいつも驚かされます

家の愛犬ラッキーをたまに一緒に連れて来ていました
「お手」を命令するユーザーを相手にしなかったりもしていましたが皆に好かれていました
いつも施設に来ると施設長の鷺野谷さんに金魚のフンのように付きまとって困らせていました

そんなラッキーが先月逝きました
「ラッキー残念だったね」と声をかけてくれるユーザー達
少しはここでセラピー犬の様な役割をはたせたかな?
(小林 東太)


・子ども研
子ども主体の子育て支援の創造を!
■「認定子ども園」の発足
今年六月、「就学前の子どもに関する教育・保育等の総合的な提供の推進に関する法律」が成立し、現政権は、この十月一日から幼稚園と保育所を一体化した総合施設「認定こども園」の施行を目指してきました。
「認定こども園」とは、@親の就労状況にかかわらず、教育・保育を一体的に提供すること、A子育て支援相談など地域での子育て支援を実施すること  の2つの条件を満たすことを必須要件とする新施設です。
幼保一体化の問題は、少子化で定員割れが進む幼稚園と、社会的不況を背景として、母親の就労の増加に伴う保育所の待機児童を解消することに加え、児童虐待の増加等、地域での子育ての危機的状況に対する支援の整備をねらいに、文部科学省と厚生労働省とで議論を重ねて造り出したものです。我が国の子育てを取り巻く社会的環境の変化を考えると、「認定こども園」の機能が発揮されることは、今後の子育て政策として、あながちマイナスの面ばかりではありません。

■「認定子ども園」の課題
「認定こども園」は都道府県が認定を行なうことから、今年度は認定基準の設定等準備期間を必要とするため、本格的な導入は来年度以降になる見込みです。導入に当たっては、認定基準の地域格差や入所選考・保育料の設定等を各施設が行なうことによる施設間格差等が、当然のことながら課題となります。さらには、設置要件の一つにあげられている「子育て支援」の事業内容が厳密に問われなければなりません。

■行政主導からの転換を
内閣府は先日、ホームページに、子育て中の父母らから子育て支援策についてのアイデアや意見をメールで寄せてもらうコーナー開設を発表しました。既存の子育て支援の評価と、「認定こども園」を含め来年度から実施される予定の「新しい少子化対策」の実施に向けて、参考にするというわけです。国が子育て支援策について検討の参考にするということは、自らの施策に定見のないこと示しています。施策の改善を図るには、あくまでも子ども主体で進めていく視点に立つことが前提で、そのためには、批判を前提に国の育児観について提示することです。
幼稚園施設を設置する際、「衛生を重視した考え方から、手をかざすと水の出る洗面台にしたところ、子どもが就学先の小学校の手洗い場で、蛇口をひねることが出来なかった」、「木のぬくもりを伝えたいという思いから木製の机にしたところ、子ども自身の力で机を運べなかった」といった例があります。このことは、大人の視点で考えたことにより、子どもが自ら体験し、生きる力を育む機会を奪った例です。

■保育現場からの指摘
現在も各所で様々な子育て支援サービスが実施されていますが、担当する職員や参加するボランティアから、実施上起こってくる問題点の指摘を耳にします。
※毎日どこかの子育て支援の場を利用していないと不安になる母親。
※子育て支援の場を母親の息抜きの場として利用して、子どもの面倒をスタッフに全く任せきりとなる母親。 
ならばと親子体操などふれあいの場を設けると、
※母親同士おしゃべりに夢中で指示が通らない。
※いつ親子がきちんと向き合い絆を深めるのか。
※スタッフは子育ての代行サービスをしているよう。 というものです。 

■「生きる力」が次世代を担う
「認定こども園」の認定基準は、これまでの幼稚園・保育所の認定基準より緩和されていることから、営利の対象としての設置が考えられます。「子育て支援」の内容や実施基準の検討が充分になされないと、母親へのサービスを売りにした「子育て支援」の視点のない、子ども不在の「営業」が行われることになります。「子育て支援」の事業内容がいかに多様であれ、いずれも子ども自身の生きる力を育むことにつながる、子ども主体の展開がなされることの保証が必要です。

■「子育て」から「子育ち」の視座へ
「子どもの問題研究所」(以下、「子ども研」)は、三年間に渡る「子育て支援連続講座」の実施等を通して、子育て支援には、母親に対する「子育て」支援だけではなく、子どもにとっての「子育ち」そのものを支援する視点が必要であることを検証してきました。
生誕してすぐに示す子どもの「生きる」エネルギーを殺ぐことなく、個々の示すエネルギーに即して育む、親と子の関係性を組み立てることへの支援が、これからの親には必要なのだと考えています。それは、「子ども研」の今までの実践的研究から得た知見に拠るところです。
(高橋 寿子)



仕事を評価するということ
那珂市教育支援センター 菅野 聖子 
〈仕事についての自己評価〉
「評価」についての今回の原稿について依頼を受けたとき、「しばらく文章化をしていないな」と気づき、自己を振り返るいい機会をいただいたと思いました。
私はカウンセラーという職名で、「ひまわり教室(適応指導教室)」の指導・支援業務と、相談業務の二つの仕事をしています。
日々の仕事を忙しく、一定のリズムでパターン化して生活していると、目の前の行き詰まった支援課題を整理することはあっても、自己の仕事について厳密に考えることがなくなりがちです。生活がパターン化すればするほど感性は鈍くなり、視野が狭くなります。日々共に仕事をしている職場集団の中で、「自分たちが行っている支援は、間違った方向に行っていないのか、おかしくなっていないのか」という疑問をしっかりと持ち続けることは、こうして振り返ると、「意識を持ち続ける」と注意していなければできません。改めて、自分たちが行っている実践について、評価・指導を受けることを積極的に行うことの大切さを認識します。それは、上司であったり、スーパーヴァイザーであったり、職場内でも担当を異にする職員に意見を求めることも含まれると思います。
〈仕事をする自己への評価を他者に求めて―自分の仕事への他者評価〉
私は昨年、「ひまわり教室」で支援した卒業生に面接調査を依頼し、「わたしが関わった、関わりそのものを、当時どのように受け止めていたか」について答えてもらうという体験をしました。
自分がしていたことが迷惑となっていたり、自分の思惑とは違って相手に受け取られていたり、「自分のおかげで相手は元気になった」と思っていたけれど、相手の中では全くこちらが予想していなかった、こちらの関わりとはまったく別の教室外での出来事によって、大きな変化、人格変容(personality change)が起こっていたこと等々、たくさんのことが明白になりました。
卒業生は、この面接調査研究には匿名ではなく実名で掲載してほしいと強く希望し、そのことを共に論文化しました。そして、「不登校であった事実は恥ずかしいことではない。今回のことは自分の人生上の区切りとなった」と述べ、カミングアウトに至るまでの経過も研究の経緯として位置づけました。
〈新たな他者評価を得た一つの出来事〉
先に挙げた面接調査研究から一年がたった今年の九月のことです。百人近い民生委員・児童委員の研修会で教育支援センターの実状について、教育委員会指導主事と共に話をする依頼を受けました。依頼をしてくださった方は、昨年の私の研究について知っており、是非そのことについて触れてほしいと希望を示されました。
私は当日、滅多にない福祉領域の方々との交流をチャンスと思い、臨みました。民生委員・児童委員さんが、引きこもりの中学生を家庭訪問し、「ひまわり教室」に通うようになったケースも複数あるのです。 
当日は、民生委員児童委員憲章には「生活の支援」を行うということが明記されていることも知り、「生活の支援」をするのが「福祉」であり、「医療」があり、私たちは「教育支援」の領域なのだ…と認識しました。
担当の時間内では、現在は中学生でも精神障害を持ち、通院している子が少なくないこと、中学校卒業後の状況を見ていると、中学時代不登校になった時に、どこの機関にもつながらず家にいた期間が長いほど、社会参加が難しくなっている等と感じていることを伝えました。そして、少々「手前味噌」だなと感じながら、先述の調査研究について話しました。真剣に伝えたことに対し、フロアの幾人かの方が質問や感想を述べて下さいました。
<地域内他機関との連携の必要性>
その中で、「地域には、『ひまわり教室』にいたけれども、引きこもりの状態でいる青年もいるが、中学校・『ひまわり教室』を卒業してからも、教育支援センターに来る子どもはいるのか」という質問がありました。指導主事より、行政上の支援センターの対象者は中学生までであり、積極的なコンタクトはとっていないことの説明があった後、私は次のように補足しました。
「中学校を卒業した後、次の居場所を見つけられるまでできるだけのフォローをしてきたが、小学生を含めた新たな相談者が増加する中、卒業生たちを気にしながら、フォローを十分にはし切れていないのが現状です。引きこもりの子ども・成人に対しての福祉領域、保健士の家庭訪問や、精神保健福祉センターなどとの連携など、つながっていかなければならないと感じています」
こう応答したときの私は、「教育領域の自分だけでは対応しきれない。もっと他領域同士つながって機能を高めていかないと、引きこもりの問題には太刀打ちできない」という思いを目の前にいる委員さんたちに訴えました。
〈他者評価を得た結果、得たこと〉
しかし、ふり返ると、「『ひまわり教室』に通っていた青年が、引きこもりに近い状態だ」という地域からの情報を質問中に出されたとき、私はドキッとしました。そのことは、自分が卒業生へのフォロー、他機関につないでいくことが現実的にできていないということを曖昧にせずに自覚するチャンス、きっかけになっています。また、少しずつ自分に自信を持ち、「手前味噌」になっていた自分に気づく出来事にもなりました。
「できていること」を自分で自己評価したり、内輪の内集団で確認するのは簡単です。「できていないこと」を見つめることが出来なくなっていたのだと分かりました。肯定的評価をきちんと伝え合うことも、エネルギーを維持していく上で、とても大切だと感じています。しかしそれだけに留まらず、「できていないこと」を伝えてくれる人は、人として成長しながら支援の質を高めようとするとき、貴重な存在なのだと分かりました。
一人の方が質問の中で、他者評価してくださったことと、今回のこの原稿作成作業をすることを通して、ここ数年の業務の中で「できなかったこと」を思い起こしてみました。相談が中断し、直接連絡が取れなくなり、間接的な支援だけを継続している人との関係では、何がまずかったのか。相談中に相手を感情的にさせたあの時の、私の持っていた人間的ないやらしさは何だったのか。強く感情をぶつけ反抗してきた子どもが言った言葉を、私は理解し切れているのか。
先述の調査のように、直接支援の対象者と、話し合える関係性があり、たずねない限りは、「相談の中断」など、相手が示した反応、結果を手がかりにすることからしか、自己評価はできません。
<仕事の評価の視座>
今回のこの作業がきっかけとなって、「できなかったこと」について振り返る作業をする、ゆっくりとした時間をとりたいと思いました。そうでなければ相手に対して申し訳ないという気持ちになってきました。関係性がつくれたと自分が思っている対象者には、相手の迷惑にならない限り、アンケート調査や面接調査などを通して、「支援を受ける側」の声をもっと聞いていくべきだと思いました。「できていないこと」を見つめることや、相手から見た自己の現実を知ることは、抵抗や苦しさを伴ったとしても、人として成長し、他者と共にありたいという思いがある限り、豊かな関係性をつくることに、必ずつながると体験を通して知りました。
また、教育支援センターへの実践について様々な反応・評価をいただき、それを通して自己の心情が変わったことからは、一刻一刻、自己も他者も社会状況も変わっていくことを忘れてはいけないのです。これまでより、「『今の自分』は何をしているのか、今はどのような状況なのか」を意識していこうと感じています。閉鎖的にならず、柔軟に他者評価を得る思考のゆとりと機会とを持ちたいと思います。


編集後記
発行が遅れまして申し訳ありません。発行に足る内容とすべく、点検に時間がかかりました。発行予定日を見据えた先を読む力が不足していたためです。▼「花信風」の発行だけでなく、障害者自立支援法など、様々な事態に対する対応が後手後手に回っています。これでは、いじめや高等学校の履修不足問題で後手に回っている文部科学省を批判できません。▼先を読むためには今の事態をどう評価するかが前提ですが、そのためには、現場だけの視点では「片手落ち」です。▼障害者・子ども等といった対象者の実態から、事態を「想像」しつつ、「想像」を実証する研究が必要不可欠です。もちろん研究も「時代」に規定されることを自覚しつつ。  (斎藤)




 

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